“GHz Interview42” The Twins Artcore

GHz Interview

老舗ハードコア・ガバ・レーベル「Mokum Records」の30周年を記念したイベント「MOKUM IN TOKYO – 30 YEARS ANNIVERSARY」特集記事の第二弾はThe Twins Artcoreのインタビューを公開!

「MOKUM IN TOKYO – 30 YEARS ANNIVERSARY」で初来日するThe Twins Artcoreはイタリアを拠点に活動しているDaniele Scacciaiによるハードコア・ガバ・プロジェクトとして2000年に活動を開始。2006年に実兄であるD-Leriaと立ち上げたNo Pizza Recordsからデビュー作『Tranz Lirix』を発表。2008年にMokum Recordsからシングル『Return Of Artcore EP』をリリースし、以降は同レーベルを拠点に『Funky Artcore』『Demons Inside The Box』『Hyperbusters EP(w / Slugnoid)』などのシングルを発表。
強い情熱と愛情を基に伝統的なハードコア・ガバに現代的なサウンドを組み合わせたThe Twins Artcoreの作品は新旧ハードコア・ヘッズから熱い信頼を得ており、Mokum Recordsの看板アーティストの一人として活躍しています。

世界中のハードコア・ヘッズを唸らせているThe Twins Artcoreが盟友RHZと共に来日し仙台と中野でプレイされます。詳しくは以下のイベント詳細をチェックして是非遊びに行ってみてください。

The Twins Artcore & RHZ Japan Tour schedule

7/12(金)仙台Monet – SenDieCity3 -No Pizza Rave Edition (18th years anniversary)
7/13(土)中野heavysick ZERO – MOKUM IN TOKYO – 30 YEARS ANNIVERSARY


Q. あなたの音楽的ルーツを教えてください。

まずはじめに、このような機会を貰えてとても光栄だよ。「The Twins Artcore」は実際には双子の兄弟から結成されたデュオであり、共に情熱を注ぎ歩んできた為、このインタビューでは頻繁に複数形で話すことを承知して欲しい。

ハードコア・テクノの世界を知る以前は、カセットテープを集めていた姉の影響から、僕たちはユーロダンスを聴いていた。特に95年から99年にかけての楽曲が収録されたコンピレーション”ヒット・マニア・ダンス”を覚えている。知らず知らずのうちに、ハードコア・テクノを作っていたGiorgio Prezioso, Molella, Digital Boy, Tiny Tot, Scooter, Rexanthonyといったアーティストを聴いていたんだ。

Q. ハードコア・ガバとの出会いはいつですか?どういったプロデューサーやレーベルに影響を受けましたか?

99年に、僕の従兄弟が録音されたカセットテープをいくつかくれたんだ。当時はオリジナルは高価で所有することが難しかったから、コピーをすることが一般的だった。最初に見つけたハードコア・テクノのレーベルは、D-Boy recordsとTraxtorm Recordsだよ。以下のコンピレーションのおかげさ。

Always Hardcore vol. 5
Extreme, Ravestorm
Hardcore Devils,
100% Hardcore warning…

初めてハードコア・テクノを聴いた時、まるで一目惚れしたかのように心を持っていかれてしまった。イタリア郊外の平凡な家庭に生まれた僕だが、それが一般的ではない音楽だったとしても強く興味を抱いた。いや…おそらくその要素が気に入ったのかもしれない。何よりも、神秘的でオカルトチックな音を今まで聴いたことがなかったんだ。
そして、その頃僕は新しい友人グループと付き合い始めていた。皆が同じくらい音楽に情熱を注いでいて、幸い僕が住んでいたヴェロリという街はイタリアの小さなロッテルダムという感じで、90年代半ば以降ハードコア・テクノシーンが盛り上がっていた。

最も影響を受けた10曲:

Meagashira – Your eyes out!
Promo – Emotions over anger
E-man – Bass machine
Placid K – Once again
The Horrorist – Can you hear the sound
DJ Promo – King of pain
Hard Creation – I will have that power
Art of fighters – the beat can’t change
Noize Suppressor – Hell Fire
Shadowlands Terrorists – More bazz

Q. The Twins Artcoreを始めたのはいつからですか?このプロジェクトを始めた経緯を教えてください。

2001年に、ミキサーとターンテーブル2台を購入した。安かったが古く、扱いにくかった。
僕たちの最初のユニット名はDigital Distortionだった。Neophyte Records009番の”Digital DIstortion Works!”からとったんだ。そして使いにくいターンテーブルだったにも関わらず、僕たちはすぐにDJミックスの技術を習得し、”HVR”, “Hardcore Veroli Rulez”という小規模イベントをオーガナイズし始めた。電車や街の壁、いたるところにグラフィティが施された。HVRのロゴは上に王冠が書かれていて、DJ PromoのEP、 “gold series”のロゴに似ていた。

そして”The Twins Artcore”という名義は、実際には2003年から始まった。それと、この名前は僕たちが決めたわけではないんだ。僕たちはイタリアのフロジノーネにあるMusic Artというレコードショップでよく音源を購入していた。その店のオーナーは僕たちのことを”I gemini hardcore”と呼んでいたよ。
2003年の春、フロジノーネで”Street Garden”というストリート・パレードが開催されると街中に貼られたポスターを見かけて知ったんだ。そこには多くの海外アーティストがラインナップされていたんだけど、Music Artの顧客(ローカル勢)も含まれていた。そのイベントは複数のジャンル毎にエリアが構成されていて、ハードコアステージはDJ Formek(あのMokumとCenobiteの所属アーティスト)がキュレーションを担当していた。

その後、僕たちはMusic ArtのオーナーであるAlessandroに会った。そして彼は僕たちに「君たちの名前をStreet Gardenのフライヤーに載せておいた。君たちもプレイするんだ!」と言ったんだ。僕たちはその事実にとても興奮したよ。同時に、彼に「何て名義で載せたんだ?」と確認した。Alessandroは「いつも君たちを呼んでいる名前だよ。英語だけどね。」と言った。そうして誕生したのがTwins Hardcoreだった。しかし、少し経ってから僕たちがプレイしていたジャンルのThe Twins Artcoreに変更したんだ。

Q. あなたは長年に渡ってArtcoreを作り続けています。あなたにとってのArtcoreの定義を教えてください。

Artcoreは、一般的にはビッグキック、アシッドとアルペジオを鳴らすJunoサウンドで構成されている最も興味深いジャンルだよ。しかし、このサブジャンルを提唱した人々(DJ Ruffneck)にとってArtcoreとは上記の要素だけではないのが、彼らの作品/コンピレーションを聴けば理解できるだろう。例としてRuffneck Recordsの代表曲”Diss Reaction – Jiiieehaaaa” または”Wedlock – The Tower”等が挙げられる。

けれども、僕にとってArtcoreの定義は何かと問われれば、これら2曲をチョイスする。
1曲目は”Syphax – Peaceful Mind”。2000年頃なんの前情報もなしに初めてカセットテープで聴いたんだけど、この曲はまるで地獄で録音されたのかと思ったよ。そして2曲目は”Hyperion – Ruffneck Reality”だね。表面はパーティーサイドで、裏面はダークサイド、英国からインスピレーションを得たRaggae/Drum&Bassとなっている。ちなみに僕たちが10年前に制作した「Ruffneck Bass」はこのEPから影響を受けているよ。

Q. 2008年にThe Twins Artcoreは「Return Of Artcore EP」をMokum Recordsからリリースしました。今作以降、あなたは定期的にMokum Recordsからシングル/EPをリリースし、Mokum Recordsの代表的なアーティストの一人になりました。Mokum Recordsとの出会いとこのレーベルがあなたにとってどんな存在であるのかを教えてください。

Mokum Recordsは、僕たちにとって長い間目標にしているレーベルだった。(Ruffneck RecordsやCenobite Recordsと共に)しかし、98年に残念ながらこれら全てのレーベルは、新スタイルのハードコアの到来と同時に消滅した。Ruffneckだけが数年間Gangstaを続けていたけどね。
6年後の2004年Mokum RecordsはMOK 100からリリースを再開し、様々なMokumヒット曲のRemixを世に放った。また、現代的なトラックを制作する新しいアーティストの受け皿となったんだ。

そして僕たちは、難航したけれどついにMokum Recordsからリリースするという夢を実現することができた。昨今はメジャーなレーベルですらリリースすることは比較的容易になってきている。当時は主にレコードをプレスすることが主流であった為、リリース毎に纏まった資金が必要だった。幸いなことに、2006年に発表したNo Pizza Recordsのデビュー作が世界中のハードコアシーンで注目を集めた。そして2008年の夏、Chosen Fewがディレクターを務めていたおかげで、僕たちのレコードがMokumからリリースされるという知らせが届いた。それはオランダ進出への最初の大きな一歩であり、現在の僕たちの活動の始まりでもあった。当時、Artcoreを制作していたのは新人アーティストのみで、ミレニアムやフレンチコアが主流だった。だからEPのタイトルを「Return of Artcore」(MOK117)にしたんだ。

先ほども言ったように、Mokum Recordsは僕のお気に入りトップ3に入るレーベルの一つで、印象に残っている曲は’Tellurian – Guyver” と、もちろん”Name of the dj” (dj Dano remix) 。だけど、イタリア人プロデューサーのWolter Oneのトラック”Live in Hell” と ”Gabber Over” に最も魅了されたよ。

Q. The Twins Artcoreは伝統的なハードコア・ガバ/ハッピーハードコアをクリエイトしていますが、現代的なサウンドも反映させています。オールドスクールなスタイルを現代の音圧やフィーリングに合わせる為にどのような工夫をしていますか?

僕/僕たちのプロダクションは使用する楽器とその使用方法によって異なる。最初の頃はサンプルを多用していた。例えば「Tranz Lirix」という曲はキック、スネア、ボーカル全てサンプリング音源だよ。シンセパートのみVSTプラグインを使用して制作した。それから何年もかけて、オリジナリティを追求したんだ。
非常に大きくて特徴的なキックと、いつでも高く評価されてきたリフとメロディ、これを聴けば僕の曲だと認識できる。新旧の融合は、僕が聴いて気に入った作品、そして経験から生まれている。一番大切なのは自身の音楽に新鮮さを与えてくれること、決してフラットすぎたり、シンプルすぎてはいけない。

使用機材に関しては、VSTプラグインとアナログ機材の両方を使用するのが好きで、特に重要なのはRolandのチェーン(SH101, TB303, TR505, TR606, TR808, TR909) と、Alpha Juno 2、Korg M1(Sunbream choir – Outside world)、モジュラーシンセサイザー。Sherman FilterbankとMackie VLZは素晴らしいキックを作るのに重宝している。
おそらく”Twins”サウンドを最も象徴する機材はMC-909グルーブボックスだと思う。全トラックの80%のキックはそこから生まれている。そしてほとんどの曲はメインリフから作られ、キック、ベースライン、ドラム、ボーカルといった具合だ。
DAWは2006-7年頃から現在までCubaseを使用している。それ以前はReasonを使っていた。

Q. No Pizza Recordsが始まった経緯とコンセプトを教えてください。

No Pizza Raveはニュースタイル期(2005年)の真っ只中に誕生した。その時代は200bpm以上のアンダーグラウンドなハードコア・テクノがかかるイベントはほとんどなかったので、ローマ近郊で「非商業的パーティー」=「No Pizza Rave」と呼ばれる小さなイベントを開催した。 ピザという言葉は商業的な音楽やパーティーを表現する意味合いで使用し、レイヴという言葉はまさに湖で行われたイリーガルパーティーという事実に基づいて付けた。 これが「No Pizza」の本当の意味なんだ。

ロゴについては、インターネット上で8bitの親しみを感じさせるピザシェフの画像を見つけ、自分で制作した。このレーベルは2006年の夏に『tranz lirix』のリリースとともに誕生し、今年でレーベルは18周年を迎え、日本を含むワールドツアーに取り組んでいる。

Q. あなたはRHZとのユニットAlarma Ravers/Trip Advisorsとして活動もされています。RHZとはどのようにして出会いましたか?RHZの音楽の特徴的な部分とは?

僕がRHZと出会ったのは8年前。最初彼はFacebookからデモを送ってくれたんだ。その時、僕は『Acid War』というコンピレーションの為にTeknoトラックを探していて、完璧なタイミングだった。すぐに彼の曲をコンピレーションに採用した。数日後、彼は僕が経営する店にやってきて、そこで初めて直接会ったんだ。
僕たちは年齢が離れているけれど、音楽へのやる気に満ち溢れている点がシンクロしたんだ。RHZはプロデューサーとして音楽活動を行っているだけではなく、ローマにミックス・マスタリング用のスタジオ(Resonhate)を持っている。僕はいつでもコラボレーション楽曲の依頼を歓迎しているので、No Pizza Raveからリリースされた”Trip Advisor”のようなAcid/Industrialな曲を一緒にいくつか制作した。

そして、よくスタジオを去る前に、僕たちはただ楽しむだけという理由で速いガバを一緒に作った。それら240bpmのトラックの一つは、Mokumのコンピレーションに収録され、とても人気になり、SpeedyQ’s等のアーティストにプレイされたよ。彼のインダストリアル・ハードコアに対する情熱が急激に高まって、形にしたいと思ったから *Alarma Raversを彼と再結成したんだ。*(元々は2008 年に始まり、2015 年初頭に終了した、僕の兄と行っていたサイド プロジェクト)

僕とRHZの特徴は、何よりも2つの異なるバックグラウンドだよ。彼はTekno出身で、僕はGabba出身。さらに、時代が10年以上違う。
作品に関しては、インダストリアル・アンダーグラウンドに非常に重点を置き、さまざまな要素が融合した素晴らしい組み合わせとなっている。

Q. 日本のHardcoreシーンに関してどういった印象がありますか?

もうすぐ日本に行けると思うとすごくワクワクするよ。僕たちは旅行が大好きだし、日本のハードコア・シーンに魅了されているからね。僕はNawoto Suzukiの大ファンなんだ。それにMiyuki Omura、 Kamikaze、 Dynamax、M-Projectなど興味深いアーティストがたくさんいる。ついにこの時が来たって感じさ。

Q. 最後に読者にメッセージをください。

読者の皆さん、もしこれを読んで退屈にさせてしまったなら申し訳ない(笑)。
7月12日と13日に皆んなに会えるのが楽しみだよ。
F**KING HARDCORE WILL NEVER DIE!

翻訳:Miyuki Omura