“GHz Interview02” Bong-Ra

GHz Interview

GHz Blogのインタビュー企画の第二弾!今回は10月に9年ぶりの来日も決定した重鎮ブレイクコア・アーティスト「Bong-Ra」のインタビューを本邦初公開!!!

メタルからレイブミュージック、ジャズからレゲエ、ノイズ、ハードコアテクノまで自由自在にジャンルをミックスし、圧倒的なオリジナリティーとハードコアなスタイルで長きにわたってブレイクコア・シーンのトップアーティストとして活躍しており、今年2月に日本の「Murder Channel」から発表されたハードコア/クロスブリード/ドラムンベースなどのアグレッシブな楽曲のみを纏めたコンピレーション・アルバム「EXPERIMENTS IN NIHILISM」も国内で高い評価を受け、日本でも非常に人気のあるアーティストです。

また、別名義やコラボレーションも活発におこなっており、オースドスクール・レイブプロジェクトの「Glowstyx」、ラガジャングル/ラガコアをリリースする際には「Killahman Machine」、日本のMARUOSAとのグラインドコア・ユニット「Deathstorm」、PrspctのLIMEWAX、Thrasherとのユニット「The Hard Way」、Mike Redman(Deformer)とBalazs Pandiとのバンド「Wormskull」など、多彩に渡る活動をおこなっています。

Bong-Raの人気はブレイクコア界隈だけには留まらず、Planet Muから発表した「The Kilimanjaro Darkjazz Ensemble」、「The Mount Fuji Doomjazz Corporation」ではジャズ、ダークアンビエントを主体としたスタイルで幅広いリスナーから支持を受けています。

2014年に音楽活動歴25周年目となった記念に過去の様々な名義で発表してきた楽曲を1曲づつピックアップして作られたフリーコンピレーションをBandcampにて公開されていますので、こちらを聴きながらインタビューを見て頂ければ更に深く楽しめるはずです。

また、GHzのチャート企画にも参加していただいてますのでコチラも是非チェックを!
What’s your favorite thing of all time? PT.3 by Bong-Ra
http://ghz.tokyo/2015/03/05/whats-your-favorite-thing-of-all-time-pt-3-by-bong-ra/

bong-ra1
Q1

ー 出身地を教えてください。

A. オランダ。

ー ずっとオランダ在住ですか?

A. 血統的なルーツがインドネシアとオーストラリアで、若い時は南スペイン在住だったから、オランダ在住ではなくて、世界在住なんだと思う。

Q2

ー 音楽に興味を持ったのはいつ頃ですか?

A. 大体1983年くらい。(今でもはっきり覚えてるんだけど)スペインのラジオでアイアン・メイデンの『ラン・トゥ・ザ・ヒル』に出会った時からだ。あの日、俺は両親と一緒に車に乗ってて、この曲がかかった。その時、両親がチャンネルを変えたんだけど、僅か30秒でその曲に恋した俺は、無理矢理チャンネルを元に戻した。それが10歳か11歳の頃。それ以来、俺はメタル三昧。

ー 最初に買ったレコードを覚えていますか?

A. 7歳の時。『ピンキーアンドパーキー』。2匹の豚が歌うビートルズのパロディーのレコード。相当甲高くて騒がしいレコードなんだけど…。:)

ー 大学で音楽を勉強されたそうですが、大学で学んだことは現在の貴方の楽曲制作に反映されていますか?

A. アートの専門学校を1998年に卒業した。ビデオに特化した学校だったし、いまだにビデオのことはよくやるけど、音楽制作には特に何にも反映されてない。
あと、一年だけ心理学を学んだんだけど、心理学という壮大な事柄が、システムや型に当てはまるのが信じられないから、あまり身が入らなかった。

Q3

ー 貴方の音楽からは「Jungle」、「Reggae」、「Metal」、「Rave」、「Jazz」の影響を感じます。ダンスミュージックとMetalやReggaeなどのバンド系のサウンドを同時に聴いていたんですか?

A. 俺は、両親が聞いてた音楽を聴いて育った(結構皆そうだよね)。だから、Queen、The Stones、 Billy Holiday、 Abba、 Kraftwerkとかの60年代、70年代、そして80年代にかけての健全で良質なヒットチューンを幅広く収録したコンピを聞いて育ったんだ…ものすごくオープンマインドに、スタイルも自由に、とにかく色々聞いてた。その後、スペインの学校で80年代のブリッティッシュサウンドを知った。The JamやThe Specials、The Clash、 Black Sabbath、Motorhead、Maiden、Ska、Punk、Modあたり。あと、スペインの伝統的な音楽も友達が教えてくれた…フラメンコとか。

ー 一部(特に昔は)では、Metal系のハードなバンドサウンドが好きな人はRaveやJungleなどのダンスミュージックを軽視する人々も居ましたが、貴方は抵抗なくダンスミュージックを受け入れられましたか?

A. 早い時期に幅広いパレットを広げておけばおくほど、その後の人生においても容易く音楽を受け入れられるんだと思う。

ー ダンスミュージックからバンド系(または逆)に興味を持ったきっかけは?

俺の10代は、メタルで育った。ヘヴィメタルからスラッシュやスピードメタル、そしてグラインドコアに、デスメタル,etc.俺がたまたまUKレイブやジャングル系を聞いたのは、実は1992年と1993年だけなんだけど、そこでブレイクビーツに出会って…その頃から(徐々に)電子音楽に移行し始めた。

Q4

ー 貴方が音楽を最初に作ったのはいつ頃ですか?最初に使った楽器は?貴方はThe Kilimanjaro Darkjazz Ensemble、Wormskull、Bluuurghではベースプレイヤーとしても活躍していますが、ベースはいつ頃から弾いていますか?

A. 作曲は、1986年か1987年頃に始めた。ブルースっぽい感じのカバーバンドでベースを弾いたのが最初。当時は純粋に、楽器を弾くって言う経験(14、5歳の頃)がしたかった。で、その後すぐにバンドを結成、初期のスレイヤーのリリース (Show No Mercy)や、メタリカ (Kill em All) 、そしてアンスラックスに影響を受けてスラッシュメタルの作曲を始めた。更にそこからNapalm Deathの『Scum』や、Repulsion、Extreme Noise Terror、DOOMみたいな過激なバンドを発見して、バンドメンバー全員でちょっとずつ、重くて速いのに移行した。

ー 好きなベーシスト、影響を受けたベーシストは?

A. 好きなベーシストを一人に絞るのは難しい。でも、各ジャンルごとに、好きなベーシストがいる:Ron Carter (jazz)、 Geezer Butler (rock)、そしてColin Marston (metal)。

Q5

ー 貴方の音楽活動の最初は「Bluuurgh」としてレコードデビューされていますが、Bluuurghの結成はいつ頃ですか?

A. 1988年。俺の最初のバンドである『Prejudice』の後だ。ちなみにBluuurghは、仲良しの学校友達3人で結成した。たった3人の16、7歳の少年達にしては、かなり面白い音だったと思うよ。俺たち3人は、聞いてた音楽がバラバラだったからだろうな。オランダのデスやグラインド、スプラッターアンダーグラウンドとは少しちがった切り口の音楽を作ってた。そして、7インチ2枚とLPをリリースした。

Q6

ー ドゥームメタル・バンド「Celestial Season」にも参加されていたとの情報がありますが、バンドに参加した経緯は?

俺は、Celestial Seasonには参加してないよ。1991年にシンガーのStefan Ruitersと一緒だった頃に、そのバンドを見つけただけだよ。

ー 当時のオランダのDoom/Stonerシーンはどんな感じでしたか?どんなバンド達と共演していましたか?

A. ドゥームメタルシーンは小さかったけど良かった。まだストーナー系の人も然程いなかった。ザ・ギャザリングは良い友達だったし、何度も共演してる。1991年頃、俺はグラインドコアからドゥームメタルへの極端な路線変更をした。そして、少しずつ、Saint Vitus、Count Raven、Trouble、そして、当然ながら当時の世間を騒がせたCathedralのデビュー作『Forest of Equilibruim』あたりの、遅い曲を聴き始めた。それが確か、1994年頃。

Q7

ー 「Bong-Ra」はいつスタートしましたか?

A. 1994年頃、楽曲制作をスタート。

ー 名前の由来は?

A. 名前は、偶然マスターズ(He-ManやSkeletorとかShe-Raのね)を見過ぎてbongって言葉を間違って使っちゃったのがきっかけで、突如このネーミングが浮かんだんだ。

ー Bong-Raとして最初にリリースした12″は「Djax-X-Beats」からでしたが、リリースはどうやって決まりましたか?

A. 1997年、Djaxにカセットを送ってみた。とんでもない曲だったんだけど、そのありのままのエネルギーにSaskia (Miss Djax) が惚れ込んでくれて、Djax X Beatsから12インチとフルアルバムをリリースをしようってことになった。

ー Bong-Raの1stアルバム「New Millennium Dreadz」はどうやって制作されましたか?当時の使用機材は何を使っていましたか?

A. 2台のAmiga2000とPro-Tracker、そしてOctamedを使用した。まずスタジオで、機材を2台手動でシンクさせて、それからトラックのシンクをほんの僅かだけ遅くした。最小限の機材で最大限の成果を引き出すために、古典的でカッコいいやり方をしたと思う。

Q8

ー Bong-Raの2ndアルバム「Bikini Bandits, Kill! Kill! Kill!」について教えてください。制作にはどれくらい掛かりましたか?ゲスト(Lolita Storm,Dirty Dred,Mike Redman)とはどうやって曲を作りましたか?

A. Bikini Banditsの話は、ちょっとだけ変で…。まず、彼らが俺をジョン・ピールのプログラムで見つけた。出会った時、俺はちょうどアルバムの新作に取り組んでて、彼らのために俺が1曲作ったら、そこにBikini Banditsのアートワークを使うってことに同意したんだ。その後更に、Bikini Banditsのサウンドトラックに非公式でトラックを作るのもいいねってことになった。

ー 当時のBreakcoreシーンではサンプリングがメインでしたが、貴方は 「Bikini Bandits, Kill! Kill! Kill!」ではサンプリングでは無いボーカルやMCを起用したり、ギターを使用していました。このアルバムはBreakcore以外のジャンルにも影響を与えていると思います。このアルバムのコンセプトや当時の心境を覚えていたら教えてください。

A. そもそも俺はこのアルバムで、何かスペシャルなボーカルものを作りたいと思ってた。MCとボーカルが、多様性に溢れたスタイルなのに、まだマッチしてるような。そのベストバランスをずっと探索してた。で、結果的に、凄く色んなスタイルのボーカルがうまくのった初のブレイクコア・アルバムが出来たと思う。にも関わらず、このアルバムをリリースするのは結構気が引けてた。制作に2、3年を費やしたってのに、まだカルトな感じのアルバムかなぁと思ってた…、それが当時の心境。

Q9

ー Nasenbluten、Somatic Responses、Noize Creator、DJ Scud、Christoph Fringeli、Eiterherd、Christoph De BabalonなどがBreakcoreというジャンルを築き上げた第一世代だと思います。そして、貴方やRotator、FFF、Knifehandchop、Jason Forrest、Enduserなどが第二世代的な立ち位置になるかと思います。
第一世代が作り上げたBreakcoreはHardcore Techno、Jungle、Industrialをベースにシリアスな楽曲が多く、一般のダンスミュージック(そして政治にも)にアンチな姿勢を見せていました。貴方達の世代からよりダンスフロアを意識したスタイルやユーモアのある楽曲を作り出してきたと思います。Bong-Raが作るBreakcoreにはシリアスな要素とユーモアの要素があり、リスナーとコミニケーションを取る様に出来ていると感じますが、Bong-RaのBreakcoreにアンダーグラウンドやポリティカルな姿勢はありますか?

A. 第一世代や第二世代ってのはよくわからないけど。とりあえず、この手の音楽を作り始めたのは1994年。ちなみにあの当時は、まだ連絡を取れるレーベルが無くて、ネットも今と違って殆ど使えなかった。だから、1994、95年時点で既にリリースができてたのは、俺がそうすると決めたからだ。と、まぁ、そんな話は置いといて、90年代後半や2000年代はブレイクコアがブレイクコアであるための、ある種の形成期だった。質問にもあるように、確かに『政治的』な要素も根本にあったりして、より『人の心に訴える様な、おかしみ』を含んだ音だった。でも、自分はどっちの世代でも無いと思うんだよ。だって、自分の音楽をただ真剣に作ってるだけだし。そこに政治的なものは混ぜちゃいない。メタルやグラインドコアの時期を過ぎてからは、音の良い音楽にだけフォーカスするようになってたし。

政治的な音楽を聴くのも好きだけどさ、多くのアーティストは正しいバランスが見つけられていないとも感じる。主に、若い時のセンスで表現する革命的姿勢って相当シンプルだよね。それはそれで良いんだけど。でも、政治ってのはもっと複雑なんだ。それを簡潔に(例えばボーカル無しで)表現することは、困難極まりないと思うんだ。

ー 貴方はBreakcoreの何処に魅力を感じましたか?

A. 自分の音をブレイクコアだと思ったことは一度も無い。ジャングルやUKレイヴから影響は受けたとはいえ、俺の方が断然ハードでダークだ。そもそも『ブレイクコア』って言葉が公に使われ始めたのは、1998年からなんだよ。

ー 近年のBreakcoreシーンをどう思いますか?

A. 最近のブレイクコアは、あまり追っかけていない、というか、実は全く追っかけたことが無い。例えば、あるタイプの音楽をずっと長く作っていると、他のタイプの音楽が聞きたくなるのが当たり前だと思う。とはいえ、同じタイプの音楽を続けてる人のことは、とても尊敬してる。だってつまり、その人達自身が、まさにオリジナルのミュージシャンや人物である訳だろ?大きな称賛に値すると思う。

Q10

ー 音楽的な思想に関して。例えばBLACK METALは悪魔崇拝であったり、ReggaeはRastafarianismがあります。これらのジャンルを自身の音楽(そして、アートワーク)に反映する際にそれらの思想(悪魔崇拝/Rastafarianism)も貴方は共感していますか?

A. 俺は、哲学よりも、むしろ絵的な部分で自分の音楽やアートワークに向き合ってる。そう言うやり方がとってもパワフルだから、凄く楽しいんだ。メイデンやスレイヤーみたいなメタルバンドの素晴らしいアートワークを見て育った俺が、リリースの際はアートワークを重要視するのは当然のことだろう。哲学的に、俺が同意できるのは…俺には常に進化し続けてる俺自身の哲学があるんだけど、それは基本的に、以下のモラルや道徳に基づいてる
:非暴力、寛容、愛。

Q11

ー 貴方の音楽からは映画からの影響を強く感じます。貴方が最もお気に入りの映画は何ですか?

A. 好きな映画を一つ挙げるのも難しいね…むしろ不可能。とりあえず、暗黒系ホラーやSF映画で…オリジナリティーがあるものなら何でも。

ー もし、自分で映画や映像作品を作るとしたらどんなのを作りたいですか?

A. たぶん、世界の正真正銘の歴史を伝えるようなものかな。或は、凄いディープなSF映画。

Q12

ー The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleはいつ頃から始まっていますか?楽曲制作はどの様におこなわれているのでしょうか?

A. 1999年。DarkbreakのEPに収録するBong-Raの曲に『Darkjazz』って曲を作ったことがある。主に、アルバート・アイラーの『ゴースト』って曲から影響を受けてたから、その曲でジャズのブレイクを使ってみた。彼は、ブラストビートのキングだよ。彼の音が好きだった。だから、ジャズドラムを使って、Bong-Raとは真逆の音の新しいプロジェクトを始動することにした。より映画的なジャズ由来のプロジェクトにするぞ、と、そこで「The Kilimanjaro Darkjazz Ensemble」って名前も思いついた。個人的に重速ブレイクをスローでドゥームなジャズトラックに混ぜ込むのは、最高のバランスだった。陰陽的なバランス。

ー The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleの主要メンバーは何人いますか?

A. 当初のメンバーはたった2人だったが、徐々にコアメンバーの5人を形成した。でも時々7人のバンド編成にもなる。でも、残念ながら2012年に解散した。だから、ソロ名義の「The Thing With Five Eyes」で、The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleを引き継いだ。


Q13

ー 貴方は楽器演奏者であり、作曲もされています。楽器を使って作曲して演奏して作る音楽とサンプリングして作られた音楽はどちらも完璧なオリジナルだと思いますか?

A. サンプリングは、単純に近代の音楽文化の一部だ。例えば、シンセやエレキギターは、楽器が進化したものだ。その次にサンプリングが現れて、ミュージシャン達が自由に音のパレットを扱えるようになって、全てのオーケストレーションがオーケストラ無しに作り上げることが出来るようになった。

ー サンプリングミュージックに対する貴方の見解を聞かせてください。

A. 俺の見解的には、楽器演奏とサンプリングは完璧なバランスだよ。だって、各自の最高の世界がそこに同時に存在するわけだから。

ー 例えば、貴方と同じくマルチプレイヤーでもあるMadlibはサンプリングミュージシャンとして、訓練されたジャズミュージシャンに引け目を感じているとインタビューで語っていました。貴方も楽器奏者(もしくはJazzなどのジャンル)などにコンプレックス的な物があったりしますか?

A. 俺自身は素晴らしい演奏者とは言い難いけど、もっと素晴らしい楽器奏者が数多くいるのを認めているからコンプレックスも何も感じてない。むしろ、彼らと仕事をすると、凄くインスパイヤされる。結局のところ、餅は餅屋。自分以外の偉大なミュージシャン達が、俺らに見せてくれる世界を受け止め、学び、聴くのがいいよ。

Q14

ー 近年貴方がメインの活動の拠点にしている「PRSPCT」との出会いを教えてください。

A. 6年前にユトレヒトからロッテルダムに引っ越した時に、Gareth (Thrasher/PRSPCT)と仲良くなった。俺らは、実はもっと前から知り合いだったんだけど、同じ町に住んだことで急接近した。俺は、新たな方向へ進む一歩としてMonolithのアルバムを製作中だった。で、ある日、GarethにPRSPCTからリリースしないかと聞いたんだ。家が近所のレーベルと一緒に仕事すれば、直接会って意思の疎通がとれるから、相当なメリットだと思った。そしてPRSPCTとの繋がりが始まって、そのおかげで、俺のリリースはかなりのサポートを受けることが出来た。俺は本当にラッキーだった。

ー The Hard Wayはどういった経緯で結成されましたか?

A. PRSPCTとの緻密なやり取りの流れが、後のThe Hard Wayに繋がった。LimewaxはPRSPCTから度々リリースしてて、ライブも何度か一緒だったから、すんなり結成できた。そもそも俺らの強気なメンタリティーも似てたし。

ー LimewaxとThrasherとのコラボレーションはどうやって行われていますか?

A. 俺らは、『The Hard Way』と銘打ったツアーの準備を開始する際に、Limewax/Thrasher/Bong-Raの3人でツアープロモーション用の12インチを制作した。そのスタジオセッションがすっげー楽しかったんだよ。だから、そのまま3人でThe Hard Wayって名前のプロジェクトを作った。俺のスタジオとLimewaxのスタジオの途中で卓球したりして。

ー また、貴方が現在使用している機材(ソフト、スピーカー、ヘッドフォン、etc)を教えてください。

A. 基本的にはAbleton LIVEが中心。その他は、普通にplug-insやシンセやギターを使用。

Q15

ー 貴方は今までに多くのCD、レコードをリリースしてきました。これからもCD、LPなどの文化は残ると思いますか?Full Metal RacketやBikini Bandits, Kill! Kill! Kill!、Grindkrusherといった作品ではアートワークも非常に重要なポイントになっていますが、データになった際にアートワークのインパクトは小さくなってしまうと思います。

A. そう、俺はまさにフィジカルリリースのプロだ:俺にとって、リリースとアートワークは切り離すことが出来ない。俺が思うに、アートワークはアーティストイメージやキャラクターの一部だと言える。デジタル化によって、音楽はすごく非個人的なものになった。つまり、大なり小なり『使い捨て』商品になった。だけど、可能な限り、俺はフィジカルリリースを続ける。フィジカルリリースをしておけば、未来にも音楽の意思が物として残るわけだ。


ー デジタルリリースをどう思いますか?

A. デジタル製品は、ある日消えてなくなる可能性がまだあり得る。デジタルはまだほんの第0世代か、せいぜい第1世代だ。
逆に、俺はプロのフィジカル屋だが、デジタルには特に問題が無いってこともきちんと理解出来てる。消費されやすい上、安価に出来る。だからアーティストがデジタルリリースに誘われる機会も相当多い。しかも、場合によっては多作なミュージシャンにとっては唯一のリリース手段だったりもする。

ー 貴方もレーベル(Kriss/Clash)を持っていますが今後もフィジカルリリースは続けていきますか?

A. KrissもClashもまだ生きてはいる。けど、活動休止状態だ。もし何かリリースするとしたら…わからないけど。でもとにかくフィジカルだ。もしかしたらフィジカル+デジタルでリリースする。

Q16

ー 貴方がレコードデビューした90年代と今では音楽シーンは随分と変わったと思います。当時と今で、メリットとデメリットは?

A. 90年代と現在。この2つの時代には大きな違いがある。今、最も重要なチャンスはもちろんインターネットだ。ネットはある意味、俺たちのゲームを完全に変えた。
ネットに関して言うと、メリットは、中間人物無しでもファンベースに直接簡単にコンタクトをとるのが可能ってこと。90年代では、それは相当難しかった。デメリットは、ネット上が音楽に溢れかえってて、ついて行くのが大変ってこと。つまり、人々がアルバムと本当に向き合う時間がもう無いんだ。そして、注目される時間も極端に短い。基本的にリリースで『見込まれる寿命』は、ネット上だと、かろうじて2、3週間だろう。でも、そんな風に扱われるために、1年、又はそれ以上の時間を費やしてアルバムは制作されてる。ソーシャルメディアにピックアップされるのもせいぜい1、2週間。その後、ネットでの注目は、次の対象へと移り変わっていく。俺が思うに、フルアルバムは、もう90年代にあった程の価値は無い。短期間で、EPや2トラックだけをリリースしていく方が、よっぽどアーティストにとって有益な音楽のリリース手段だろうね。

ー あなたも積極的にFree Downloadのリリースを行っていますが、音楽に金銭的な価値を付けるのは難しくなっていくと思いますか?

A. 俺が時々フリーダウンロードの曲を配信する理由は、俺の音楽を買い続けてくれてる人たちへの感謝の気持ちだ。そういうお返しをするのって、公平だろ。だから、常に無償用に曲を作ることは無い。ていうか、それは馬鹿だよね。だったらそもそも楽曲制作をやめるだろう。かと言って、お金のために音楽をやってる訳でもない。けど、商品を作る人なら誰でも同じだろ。それが価値あるものなら、対価はきちんと得なきゃならない。農民が作物を作り、対価を得る。単純にそれと同じ。音楽がデジタル形式で入手可能という事実、しかもtorrents等でも入手可能である事実において、そもそも若い子達は、音楽は無料だと思って育ってる。だから、フリー配信していないアーティストの曲に接する機会は無いし、聴くことによる金銭的サポートのことになんか、想像すら及ばない。単純に、アーティストを支えると言う共通の意識を持ち合わせていない。欲しいものが無料で入手不可能な時、ついにお金を払うんだ。

Q17

ー 貴方は現在までに多くの楽曲を発表していますが、最も思い入れのある作品は何でしょうか?

A. 全部。俺が作りあげてきた全プロジェクトの全アルバムは、全て等しく重要だ。俺の音楽カタログは、つまり俺個人の『専門誌』か『日記』だからね。俺の人生、思考そして最新の人生の局面に至るまでの全てを反映してる。その時々における全ての感情や姿を纏ってる。他の人たちの日記の形式とはちょっと違うが、俺の場合は、音楽って形式によって日記を綴ってるんだ。

Q18

ー 最後に今後のリリース情報を教えてください。

A. The VOODOOMのアルバムがちょうどリリースされた。2016年にはThe Hard WayのEPをリリース予定で、それに続くThe Thing With Five Eyesのリリース物がもうすぐ終わるところ。Bong-Raは小休止中で、新しいアイデアを現在進行中なんだけど、一日は短いね!インタビューしてくれてありがとう、皆が楽しく読んでくれたことを祈ってる!

インタビュー/文:GHz Staff 翻訳:Kyoka
※このインタビューは2015年6月25日に行われました。

Bong-Raの来日情報はこちらににて↓↓↓

10月9日(金) 21:00 @大阪 南堀江Socore Factory
“AMEN TRAFFIC -RVLT-”
http://iflyer.tv/ja/event/245040/

10月10日(土) 22:00 @東京 中野heavysick Zero
“Superbad MIDI Breaks presents “TOTAL DESTRUCTION 13”
https://www.facebook.com/events/509778292502951/

10月11日(日) 23:00 @宮城 仙台MACANA
THE DARKRAVE & Obsession Presents “DISDEFENSIVE”
https://www.facebook.com/events/1486225841696847/

Bong-Ra
http://www.bong-ra.com/
https://soundcloud.com/bong-ra
http://bong-ra.bandcamp.com/