“GHz Interview49” Hitori Tori

GHz Interview

アシッド、ブレイクコア、IDM、ジャングル、ノイズを優れたプログラミング技術でミックスし、表現力豊かな作曲スキルでまとめ上げた唯一無二の楽曲と圧倒的なライブ・パフォーマンスで衝撃を与えるHitori Toriのインタビューを公開!

Hitori Toriは4月28日+29日に中野heavysick ZEROにて開催されるMURDER CHANNEL VOL.30での来日が決定しており、2日間に渡って出演されます。Day 1では、実際に機材を用いながら楽曲制作の過程を教えてくれるワークショップを開催。DTMに関心のある方には実践的なヒントが得られる貴重な機会となるでしょう。Day 2では、ライブ・パフォーマンスを通してHitori Toriの音楽の核心に触れることが出来るかと思います。
イベントに足を運ぶ前に、是非このインタビューを通じてHitori Toriというアーティストの魅力に触れてから会場でその音を体感すれば、きっと一層深く楽しめるはずです。

Hitori Tori
https://www.instagram.com/hitoritori_official/
カナダ・バンクーバー出身のミュージシャンJulian La Brooyのプロジェクト。革新的なサウンドデザインと卓越したプログラミング技術を駆使し、アシッド、ジャングル、IDM、ブレイクコアを独自融合させた作品を展開。サウンドトラッカー、オーディオサンプラー、シンセサイザーなど様々なツールを自在に操り、エレクトロニック・ミュージックの限界を押し広げ、新しい表現を追求している。

Peace Off、Kitty on Fire、Kaometry Records、MURDER CHANNEL、EVELといったレーベルからEPやアルバムをリリースしており、その作品は世界中の電子音楽ファンから絶大な支持を受けている。最近ではGoreshit、99Jakesとのスプリット作のリリースや、DJ SHARPNELとのアメリカツアーが話題となり、新世代のアーティストやリスナーからも熱狂的な支持を集めた。
ライブパフォーマンスでは、まるでドラマーのようにリアルタイムでブレイクビーツを手動で奏でる即興性を重視したコントローラー・ジャムが特徴。ライブアクトとしてもその圧倒的なエネルギーと創造性が世界中のクラウドから高い評価を得ている。


Q. 音楽制作を開始されたのはいつ頃からですか?最初に使っていた機材は何でしたか?当初はどんなジャンルの音楽を作っていたのでしょうか?

1990年代中頃、高校を卒業した後に僕はブリティッシュコロンビア州の森でツリー・プランター(植林作業員)として何シーズンか働いてた。その時に、中古の4トラックレコーダーを買えるだけのお金が貯まった。手元にはエレキギターとかRolandのDAC 15Dアンプ、コンタクトマイク、それにYamahaのPSS-480キーボードみたいな結構ベーシックな機材しかなかった。音楽は一人で作っていて、たまにカセットテープに録音して親しい友達にシェアしてた。当時は、とにかく「バカバカしい」音にしたかったんだ。感情を込めた音楽っていうよりはふざけて遊ぶような感じ。録音の時には4トラックのカセットテープを裏返して逆再生で録ったりしてた。全体的に不気味で変な音にしたかった。ボーカルにもピッチシフターとかフランジャーとかのエフェクトを必ず使って誰にも僕だってわからないようにしてた。音楽的には多分CoilとWeenの中間みたいな感じだったと思う。でも、もっと酷いやつ。

その後、ある時期にモントリオールの大きな交差点のすぐそばに住んでたことがあったんだけど、そこがすごくうるさくてさ。しょっちゅうテープに交通音が入り込んじゃうんだよね。それで、なぜかそこから全てが変わった。安い楽器は全部止めて交通音だけを録音するようになったんだ。コンタクトマイクをバケツにくっつけて、それを窓の外に向けてラッシュアワーの音を録ったのを覚えてる。ただひたすら交通音のレイヤーを録って重ねてミックスして。ある種の儀式みたいになってて、そのプロセスが楽しかったんだよね。他人が僕の音楽をどう思うかなんてまったく気にしてなかった。

1997年の初め位にルームメイトが家に知らない誰かを連れてきたことがあって、その人は音楽的な学歴があったみたいなんだけど詳しくは覚えてない。でも、僕の4トラックノイズのデモを一緒に聴いてくれて、「エレクトロアコースティックを学んでみたら?」って言ってくれたんだ。それで少し後にコンコルディア大学でエレクトロアコースティックのコースを取り始めた。先生達はスタジオの配線の仕方からテープの切り貼り、モジュラーシンセのパッチングまで、いろんなことを教えてくれた。あのスタジオで何度も徹夜でレコーディングして、すごく楽しかった。今でも当時のADATカセット録音がどこかに残ってるはず。そのプログラムに在籍している時に同じ学生の一人がサウンドトラッカーの世界を教えてくれた。その手法がすごく気に入ってすぐに自分の音楽制作の重要な一部になった。それ以来、僕はずっと何らかの形で実験的なトラッカー音楽を作り続けてる。

Q. 音楽制作におけるルールなどはありましたか?

僕は根っこの部分でちょっとしたミニマリストなんだと思う。若い頃は音楽機材に使えるお金がほとんどなくて、「出来るだけ少ないもので面白いものを作る」っていうのが自分の中のモットーだった。当時は最小限の音楽的リソースを使って出来るだけプロフェッショナルなサウンドに聴こえるものを作ろうとしてた。地元の楽器屋でRolandのJP-8000を見たとき、勿論めちゃくちゃ欲しかったけど当時の自分にはとても手が出せなかった。でも、夢見がちな性格だったのが逆に良かったところもあって、手元にある機材にちゃんと感謝出来たんだと思う。振り返ってみると、スタジオには必要なものがいくつか欠けていたけど、限られた予算の中でなんとか全部機能させられていた。

ある時、友達からYamahaのA3000サンプラーを借りることが出来たんだけど、それが本当に素晴らしい機材で初期のレコーディングではかなり使い込んだ。思い返してみると、あの限られた機材で結構野心的なことをやろうとしてたんだよね。実際のところ、多くはかなり粗削りな音だったけどね。
今では少しは良い機材を買えるようになって、ちょっとした豪華な機材も手に入れた。でも、今でもミニマリスト的な考え方は変わってない。スタジオには自分が「必要だ」と思ったものだけを置くようにしてる。機材から引き出せるものを全部試し切ったと思った時だけ、新しい機材を検討する。それでも買う前には、かなり長いことあごに手を当てて考えるよ。僕にとって一番大事なのは機材そのものじゃなくて、スピーカーから鳴ってくる音楽なんだ。

Q. あなたは日本の音楽に詳しく影響も受けたとのことですが、お気に入りの日本の音楽作品トップ5を教えていただけますか?

The Boredoms – Super Roots 6 (WEA Japan) 1995
山塚アイはレジェンドだよ。このアルバムの一部を、夜中に放送されていたカナダのラジオ番組Brave New Wavesで初めて聴いたのを覚えてる。大体はいつも半分寝ながら聴いてた。このBoredomsのリリースは僕の潜在意識に永遠に焼きついてる。

The Blue Herb / O.N.O – My Heat (Heat Cartel) 2004
このリリースのB面には(The Blue Herbの)プロデューサーO.N.Oによる良質なサウンドトラックのインスト曲が収録されてる。今でも僕の大好きなレコードの一つだよ。

Orga – Vivid (AKA Ltd) 2006
このアルバムは90年代後半のWarp Recordsの作品を思い起こさせる。すごくメロディックでありながら遠慮なくハーシュでノイジー。リリース当時、OrgaはDJ Funnelと一緒に東京で何度かライブしてた。

Kiyo – Slept(自主制作)2010
Kiyoshi Onoの2001〜2002年までに作られた未発表音源を集めた作品。Schematic Records以前の音源がここに詰まってる。

Rei Harakami – Red Curb(Sublime Records)2001
彼は本当にユニークな音楽を作ってた。もう彼がいないのがとても悲しい。

Q. Hitori Toriとしての活動はいつ始まりましたか?名前の由来は?

1990年代後半、友達と一緒にFinchっていうエレクトロニックバンドを組んでて一緒に幾つかアルバムを作った。でも、そのプロジェクトは僕が2002年に日本に引っ越した時に終わった。当時は一人で沢山音楽を作っていてソロ用のアーティスト名が必要だった。それで「hitori(ひとり)」と「tori(鳥)」を選んだ。意味的にもぴったりだったんだ。

Q. キャリア初期の目標は何だったかを覚えていますか?

90年代後半のWarp Recordsが大好きだったから、間違いなくそこ(Warp)と契約したいって思ってた。コラボレーションに関しては、カナダのトロントにいたCellっていうアーティストと一緒にやってみたかった。2000年代初期にmp3.comでリリースしてた彼の音源が本当に好きだったんだけど、彼はまるでこの世から完全に消えてしまったみたいに見つからないんだ。

Q. Hitori Toriとしてのライブ・パフォーマンスを始めたのはいつ頃ですか?キャリア初期の頃から今のように即興性を重視したライブを意識していましたか?

2000年代初期に何度かDJはしてたけど、本格的にライブセットが形になったのは2010年頃だったと思う。その頃の目標は、出来るだけ即興的な要素を保つことだった。自分が楽しんでいれば、やっていることに対する興味を持ち続けられるだろうと思ったんだ。

Q. Hitori Toriのライブパフォーマンスは非常にオリジナルでユニークです。現在のスタイルにたどり着いた経緯を教えてください。

強くて触感がしっかりしたMIDIコントローラーが欲しかったんだ。もっと大きくて、部品がしっかりしてて、簡単には壊れないものがね。そこで、テキサスのLivid Instrumentsという会社を見つけた。その時に丁度、その会社はOhm 64というMIDIコントローラーをリリースしたところだった。そのコントローラーは完璧だったから、彼らのオンラインショップで購入した。その後、Renoiseトラッカーに「次のパターンを順番に再生」といった新しいMIDIアサインが追加されると、僕はそのOhm 64を楽器のように演奏するようになった。それをきっかけにこの方法でドラムマシンやハードウェアサンプラーをトリガーするようになったんだけど、サンプルの代わりにMIDIデータを使うようになったんだ。


Q. Hitori Toriは2011年にインダストリアル・ハードコア・プロデューサーのOphidianが運営するレーベル「Meta4」からMeander(Ophidian)とのスプリット・シングル『Memecore Series Eps 1』をリリースされていますが、どういった経緯でMeta4からシングルをリリースすることになったのか教えてください。

2010年の終わり頃、Conrad Hoyer(Ophidian)から突然連絡が来たんだ。彼は僕がRenoiseでやってることに凄く熱心にサポートしてくれた。最初は彼のレーベルからEPをリリースする予定だったんだけど、残念ながら2011年に日本に行くことになって日本でのツアーを宣伝する為にその曲を日本のリリース用に使う必要があった。結局、僕達は『Memecore EP1』を一緒に作ったんだけど、Conradがかなりすぐにまとめてくれたのを覚えてる。Meta4からのリリース自体はほとんど一晩で実現した。僕はConradに曲を送ってから寝て次の日の朝にはもうリリースがオンラインに出ていた。すごく速かったし、その迅速さに感謝してるよ。

Q. 2010年代、Hitori Toriは主にブレイクコア・シーンで活動されていたと思いますが、その当時のブレイクコア・シーンはどのような状況でしたか?

2010年代初頭、バンクーバーのブレイクコア・シーンは小さかった。人々がブレイクコアを評価していなかった訳ではなくて、ただその存在を知らなかっただけなんだ。だから、地元の大きな電子音楽フェスティバル、例えばShambhalaやBass Coastとかではこのジャンルはステージに取り上げられていなかった。僕の友達がEUやUKから遊びに来て、地元のフェスティバルで提供されている音楽ジャンルの限られたラインナップに不満を持っていたのを覚えてる。もしかしたら、地元カナダのフェスティバル主催者はブレイクコアのような音楽がフェスティバルの観客層にはリスクが高すぎると思っていたのかもしれないけど、詳しくはわからない。

2011年頃、僕の妻であるノリコ(lootcanal)がAnguraという音楽イベント・シリーズを始めた。Anguraは日本語で「アンダーグラウンド」を意味していて、このイベントの目的はアンダーグラウンドのアーティストを紹介し、地域のアンダーグラウンド音楽ジャンルをプロモートすることだったと思う。ノリコは特定のタイプのアーティストが地元のシーンで活躍するのがどれだけ難しいかを知っていたので、そういう人達に発言の場を与えたかったんだと思う。Anguraシリーズは成功し、熱心なフォロワーを得た。これまでに、バンクーバーで11回のイベントが開催され、素晴らしい地元と国際的なタレントが出演した。

また、長年に渡ってブレイクコアをサポートしてくれているバンクーバーの住人にDylan Gauthier(Ridylan)もいる。彼はおそらく、アーティスト名のRidylanとして知られていると思う。彼の音楽活動と前向きな姿勢がバンクーバーのブレイクコア・コミュニティをこれまでずっと支えてきた。Dylan はバンクーバーでTurbo Tweakというハイエナジーなイベント・シリーズを運営している。過去15年間で多くの仲間たちがそのイベントに出演してきたし、Turbo Tweakが本当に素晴らしいものへと成長していくのを僕たちは見てきた。最近ではBaseckやRichard Devineといったアーティストも出演している。

Q. 近年のブレイクコア・シーンについてはどう思われてますか?

シーンは素晴らしいと思うよ。いろんなバックグラウンドの人達が惹かれて集まってきてる感じがする。オープンマインドな若い世代には敬意を抱いてるし、僕みたいな年季の入った恐竜達が今でも頑張って続けてるのも本当にすごいことだと思ってる。

Q. Goreshitとのスプリット作品やツアーを頻繁に行っていますが、彼と初めて出会ったのはいつですか?また、彼の音楽のどんなところに魅力を感じていますか?

Goreshitと初めて会ったのは、2010年代後半にBangfaceでプレイしたときだった。あのときは、Leon(Goreshit)がステージを降りるところで僕が上がるところだったんだ。僕達はちょっとだけ言葉を交わしたんだけど、もうその時点で彼が信頼出来る人だってすぐにわかったよ。次に会ったのはKitty on Fire Recordsが彼をバンクーバーに招いた時で、Leonは僕の家に泊まった。ノリコとLeonと僕の3人は物事に対する考え方がとても似ていたからすごく気が合ったよ。
Goreshitの音楽は他とは違う響き方をする。ムードがすごくあるんだ、そこがたまらなく好きなんだよね。Leonは稀有な存在で彼の他のプロジェクト、例えばHana SumaiやWounderもすごく気に入ってる。

Q. COVID-19のパンデミック中は、どのような音楽活動をしていましたか?パンデミックを経て最も大きく変わったこと、そして変わらなかったことは何ですか?

パンデミック中はMurder ChannelやPRSPCT、Suck Puck Recordsの配信ライブに幾つか出演したよ。あと、うっかり足の指を何本か骨折してしばらくベッドで動けない生活をしてた。そんな状態だったけど、その間にアルバムを2枚完成させたから、むしろ創作面では充実してた時期だったと思う。パンデミックを経て、自分自身が大きく変わったとはあまり感じてないかな。強いて言えば以前より社交的ではなくなったし、家にいる時間も増えたかもしれない。

Q. 2021年にMURDER CHANNELからアルバム『If Not Now Then When』をリリースされていますが、このアルバムには特定のテーマはありますか?

このアルバムは整理するのに時間が掛かって曲の選曲を何度も変更したんだ。最終的には、さまざまな種類の曲をこのリリースに入れることにした。ノイズ、IDM、インストゥルメンタルなど、いろいろなジャンルの曲が混ざっているよ。このアルバムは、2019年から2021年に作った曲のコンピレーションで特にテーマはないけれど、トラックごとに共通する暗いムードがある。アルバムの最後の曲はパンデミックが始まる直前に癌で亡くなった母ドナに捧げているんだ。

Q. DJ SHARPNEL、Goreshitと共にアメリカ・ツアー(Rumble in the Donks)を二回行われていますが、その中で特に印象に残った場所はありましたか?

2023年にDJ SHARPNELとGoreshitと一緒に最初のDonksツアーに行ったんだ。Kitty on Fire Recordsの素晴らしい仕事によって全てがスムーズに進んだよ。4日間で4つのショーがあって、移動も多かったけど、止まることなく進んだ。特にLAでの最後のショーは本当に大きくて、強い印象を残してくれた。DJ SHARPNELのサインを貰う為にファンが沢山並んでいたんだ。あの人は本当にレジェンドだよ。最近また東京で彼と一緒に過ごしたんだけど、カラオケを一緒に歌ってすごく笑ったよ。

Q. 楽曲の再生回数や売上といった数字はあなたの音楽活動にどのような影響を与えていますか?現代のデジタル時代をあなたはどう感じていますか?

再生回数や数字が僕にどのように影響しているかは正直わからない。僕は主に新しい音楽を出すことに集中していて、再生回数を稼ぐために曲を繰り返し聴かせられることにはあまり興味がない。他のプロデューサーたちは別の目標を持っているかもしれないけど、それはそれで全然問題ないと思う。ただ一つ確かなことは、僕の親戚や家族の何人かは、ストリーミングサービス以外で僕の音楽を聴こうとしない人もいるってことかな。一般的に、人々は音楽を聴く手段として、ストリーミングサービスを使うことが当たり前になっていると思う。例えば、最近仕事中に誰かが「お気に入りのストリーミングサービスのプレイリストをかけてくれ」と言ってきたんだけど、僕は自分のプレイリストを持っていなかった。でも、他の社員たちが何人か既にプレイリストを準備していたのを見て驚かなかったよ。ストリーミングサービスはとても便利だからね。現在のストリーミングサービスモデルの先に、未来はどうなっていくのだろう?うーん、分からないけど、何が次に来てもきっと今よりももっと便利になるだろうね。出来れば悪いものじゃないといいけど。

Q. Hitori Toriとして現在までに多くの素晴らしい作品を発表されていますが、その中で一番気に入っているものはどれですか?

難しい質問だね。僕的には一貫性と流れを考えると、『Offset Enumerate(EVEL Records)』が一番かな。アルバムを早く仕上げて早くリリースされるほど、僕はその作品を楽しめるみたいなんだ。このEVELアルバムでは1曲に7日間かけて作ったんだ。だから、約2ヶ月で8曲をマスタリングに送って、それ以降はそれについて考える必要がなくなったんだ。

Q. アーティストを目指すクリエイターにアドバイスはありますか?

常に楽しむことを心がけて、フィードバックにはオープンな心で耳を傾けてみよう。

Q. Hitori Toriとしてのキャリアを通じて、何か得たものはありますか?

自分を諦めずに続けている人たちへの尊敬を得たよ。

Q. 4月に日本に来る予定とのことですが、特に楽しみにしていることはありますか?

友達と再会すること、日本のアーティストの音楽を聴くこと、自然の中を散歩したり、公園でピクニックをすること。

Q. 今後のリリースについて教えてください。

EVEL Recordsからの新しいリリースが進行中だよ。