“GHz Interview48” DJKurara

GHz Interview

自身が主宰するレーベル「RADIO ACTIVE HARDCORE」を拠点に、Sociopath RecordingsやDance Corpsといった海外のブレイクコア系レーベル、さらには日本の名門ハードコア・レーベルであるMaddest Chick’ndomからも作品をリリースし、精力的に活動を続けるDJKurara氏のインタビューを公開!

スピードコア、ブレイクコア、フレンチコアなど、ハードでエネルギッシュなダンスミュージックを武器に国内外のヘビーリスナーたちから熱い支持を集めるDJKurara氏。その音楽的バックグラウンドや楽曲制作の方法、海外でのギグなどについてお聞きした読み応えのあるインタビューとなっています!

DJKurara
https://soundcloud.com/djkurara
https://www.youtube.com/djkurara
https://djkurara.bandcamp.com/
https://open.spotify.com/artist/4Ld4okb6IAQawA81RHkM3U
https://linktr.ee/djkurara
スピードコア・ブレイクコア・フレンチコア・ハードテックプロデューサー/DJ。2011年頃より音楽活動を開始。
国内外多数のレーベルより精力的にリリースを行いつつ、同時にネットレーベル「RADIO ACTIVE HARDCORE」の運営を行う。
イギリスのAnnoying Ringtoneが提唱した「ダンスコア(Dancecore)」を日本人としていち早く取り入れ、更にフレンチコアを掛け合わせた独自の「ドレンチコア(Drenchcore)」なるスタイルを作り上げた。
国内最大手Hardcoreパーティー「The Day Of Hardcore」出演を皮切りにDJ活動も本格化、幾つものパーティーでラウンジ/メイン共にフロアを焦土と化す。
代表的なトラックでは、260BPMのボーカロイドオリジナル曲『Noise Of Yandere』がプチバズし、計10万再生を超えた。

最近ではVRChatやclusterをはじめとするメタバースやVTuberといった活動も始め、配信プレイ時にはトレードマークのネコフードを着たガワを被って行う姿も。
アートワーク・MV・モデリング・コーディングと何でも手を出しつつ、現在もフリーのプロデューサー/リミキサーとして関東を中心に精力的に活動を続けている。


Q. DJKuraraさんが音楽に興味を持たれたのはいつ頃ですか?

中学生の頃ですね。それまでは音楽って歌だと思っていて、正直大嫌いでした。特に妹が歌う邦楽や合唱曲が耳にこびりついて苦痛で(笑)
でも「Need For Speed Most Wanted」の『Styles of Beyond – Nine Thou (Superstars Remix)』に出会って衝撃を受け、洋楽にハマったんです。歌詞がわからない曲やインストに惹かれ、NFSシリーズの気に入った曲をカセットに録音したり、父の持っていたCandy Dulferの『Big Girl』の焼きCDを勝手に持ち出して無限にリピートしていました(笑)
特にその中の『Tommygun』にはThink Breakが使われており印象的で、今思うと初めてブレイクビーツというものに触れた瞬間でしたね。

Q.どのような流れでブレイクコア~ハードコアといった音楽に出会ったのでしょうか?

ハードコアテクノとの出会いは、太鼓の達人の『さいたま2000』等の2000シリーズや『Rotter Termination』ですね。当時は「高速の音ゲー音楽」としか表現できなかったこの手の音に引き込まれ、Wikipediaの記事で点と点が繋がった瞬間がすべてを変える幕開けでした。
音ゲー曲にはただ速いだけのも多いけど、特にキックやオフビートの強い曲に何故か惹かれてたと振り返って思います。「速さ=強さ」の感覚に支配されてたのも確かですけどね(汗)
最初はゲームコミュニティ経由で2000シリーズの音MADに触れてたんですが、次第にRyu☆、kors kを始めとするビーマニへ流れ、その辺からYouTubeでディグりだしたんです。
並行して『正露丸2000』『Rotter-Da-Station』みたいな同人音ゲー曲に夢中になり、さらにYouTubeでLV.4やt+pazolite等を見つけてガッツリ掘ってましたね。で、そこからインディーズハードコアの世界がすごく広がってったんですけど、中でもHARDCORE TANO*Cとの出会いは大きな始発点って感じですね。

ブレイクコアの場合は、太鼓さん次郎の創作譜面で知ったThe Flashbulbの『Lawn Wake IV』が初だったと思います。この時期は単なるゲーマーだったので、ブレイクコアとは意識せずただの高難易度曲として聞いてました。
同じく譜面でSub-69の『KLEENEXER』を知り、曲作りを始めた頃にYouTubeでLapFox TraxのRenardに出会ったんです。
彼特有の独特なキックにハマってて、特に『Because Maybe!』や『Intensive Care Unit EP – extended and remastered』を何度も繰り返し聴いてました。これらのアルバムには、その手の曲が多いんですよね。
その後所属していたNAHTOD HARDCOREのTakuya Nambaに教えてもらったDANCE CORPSで、既存曲を丸ごとサンプリングするダンスコアやマッシュコアの概念に衝撃を受け、音楽の見方がガラッと変わりました。
実はそれ以前にTwitterで偶然見つけた『BOB the Builder! – Hello』を聴いてて、後でそれがブレイクコアだと気づいたのも思い出深いです(笑)

Q.ご自身で楽曲制作を始められたのはいつからですか?当初はどのようなジャンルを作られていましたか?

楽曲制作を始めたのは2011年10月頃です。最初はロッテルダムテクノ、ガバ(という名のテラー)、スピードコア、エクストラトーンを作っていて、『速さこそ正義』って感じでしたね(笑)
Sampling Master MEGA、m1dy、t+pazolite、TQBF、Diabarhaあたりを参考にしていました。
その後、ニコニコ動画の220BPMハードコアMIXからフレンチコアにハマり、2012年中旬くらいにはブレイクコアも加えて、今のような3つの軸で活動するようになりました。
ブレイクコアが最後なのは概念・技術的難易度が理由で、Takuya Nambaや先輩のKyou1110さんが居なければ出来てなかったと思います(笑)

Q. DJKuraraという名前の由来は?

ネット始めてから使ってたハンドルネームがクララだったんですが、そこにDJって付けただけですね。
ほら、ビーマニのアーティストってDJ〇〇みたいなのってよくあるじゃないですか。当時それがすごくカッコいいと思ってたんですよ(笑) すごい安直ですよね(苦笑)
間のスペースなしにしてるのは、検索にヒットしやすくするためと、隙間がないほうが字面が綺麗、というのが理由です。
クララの由来は確か当時のフィーリングだったんですが、ラチェット&クランクシリーズが大好きだったのでその「クランク」と、これも当時テレビでやってた犬夜叉の「雲母」を組み合わせてた、と今は思ってます。
当時は存在を認知してなかったので、ハイジの方じゃないのは間違いないです(笑)

Q. DJKuraraとしての最初のギグを覚えていらっしゃいますか?

DJKuraraとしての初ギグは、2013年2月28日に浅草STELLAで開催された「PIKAGRE PROJECT #15」です。
平日イベなんですが、学生なので身軽でした。当時は機材も知識もなくて、iPodのdjayというアプリだけでプレイする感じで。セットは自作の400BPM超えスピードコアばかりで、Sync機能で繋ぎつつエフェクターで遊ぶ、ライブっぽいスタイルだったと思います。
今思うとDJとしては最悪で、お客さんへの配慮なんて考えもせず、ただ楽しんでましたね。
この頃は「STAR☆WEDNESDAY」「肉充2nd」「iNSPiRE」みたいなリアルイベントは勿論、「Jaycore Invasion」「Lucky Lotus Online」といったネットラジオ系のイベントにもガンガン出てました。出番に飢えてて、いけるものは全部出てやる!くらいの勢いでしたね(笑)
ちゃんとしたブレイクコアのプレイは2014年11月1日の「Ayase Chihaya Radio Ensemble 2」が最初で、翌年8月1日の「The Youngman Show 2」で初めて「現場ブレイクコア」のギグをやりました。

Q. 楽曲制作はどのように学んでいきましたか?

完全に手探りでした。RADIO ACTVE HARDCOREは勿論、NAHTOD HARDCOREやW.T.F. Records等で出会った人々からクラブミュージックの心得やミキシングの技法、プリセットやサンプル等を頂きつつ、好きな楽曲のスタイルを真似るというようなことを繰り返していたと思います。作るなら4分以上!とか、WAVを直に置いて刻む!といった概念もこの時に仕込まれました(笑)
後は、サンプルをガンガン使うというのに躊躇がなかったのも手っ取り早いモチベーションにつながってたかなと。当時ボタンでガバキックを鳴らせるiPodアプリがあったんですが、それを解析して抽出したキックを使ってたり…(笑)
DAWもチュートリアルなんかを調べる発想がなく、とにかく試行錯誤で新しい機能を見つけたりしていて、初めは理解できずに一時的にやめてしまったりしたことも(泣)
ただその後日が経ってから再開すると何故か出来るようになっていた、みたいな不思議なことは多かったですね。

Q. DJKuraraさんの初単独作品はRADIO ACTIVE HARDCOREからリリースされた『MAXIMUM SPEEDCORE MIXS VOL.1』でしょうか?本作とRadio Active Hardcoreが出来上がった経緯を教えてください。

実のところ初リリースは、当時やってたブログで出した『DJKurara Original SoundTrax』っていう5曲入りアルバムなんです。でも恥ずかしくて目立たないようにしてますね(笑)
RADIO ACTIVE HARDCOREはNAHTOD HARDCOREの立ち上げ準備を見てて羨ましくなって、勢いで始めちゃいました(笑)
『MAXIMUM SPEEDCORE MIXS VOL.1』も楽しさだけで作ってたアルバムの一つで、たまたま最初に完成しただけなんです。『HARDCORELOIDS』はそれより前に着手してたのに、リリースは後になりましたね。

Q. 楽曲制作のプロセスと使用されている機材を教えてください。

例えば街中で刺さる曲を聞くと、頭の中でBPM上げたりキックやベース足してテンション上げて遊んでますね(笑) で、Shazamして後で入手して、DAWで再現してみるって作り方が多いです。オリジナルだと、好きなコードでキックとベースラインを作って、その上に耳の和音感覚だけでメロディ乗せるスタイルですね。お恥ずかしながら音楽理論とかまだ勉強できてなくて…(泣)
最近は生成AIで素材作ってサンプリングとかもしてますよ。

DAWは昔ACID使ってて、今はFL Studioですね。スピーカーは低音が効くHT-S200F、ヘッドフォンはTanukichiさんが勉強会で勧めてくれたDT 990 PROをずっと愛用してます。シンセは今Serumがメインですが、Sylenth1やSynth1も昔から現役です。特にリバースベースは一時期Synth1だけで作ってたんですよ!
エフェクターは標準のやつ多用してますけど、CamelPhat3、KarmaFX Reverb、MFreeFXBundleは古くからのお気に入りです。5年前からはKyou1110さん推しのFabFilter Pro-Q3も仲間入りしました。
ミキシングはPeak Controllerとかで動的にやって、手抜きとクオリティ両立するように意識してますね。使ってるサンプルもVengeanceは昔から現役で、他古いのだとCoakiraさんに頂いたガバキックパックとかSD-501から送ってもらったアーメンパック等々。
後、サンプリングした声ネタ等で個人的に好きなフレーズは、結構いろんな曲で使いまわしたりしてます。

Q. 楽曲のアイディアはどういったときに思いつきますか?

リードを始めとするメロディはいざ考えようと思うと出てこなくて、むしろ風呂や外出中等、全然関係ないときに急に沸いてきたりしますね。後は好きなコード進行の曲を聴いてたりしたときに楽しくなってきて、ベースに合わせて勝手に作っちゃったりとかしてます。
ただやはり過去に聞いてきたもので構成されているのか、作りやすさには得意不得意があるみたいです(笑)
例えばJコアのリードやエモロックっぽいマイナー系ギターコード、古いハピコアみたいなスタブ、ピアノなんかは、出始めると比較的スムーズにアイデアが浮かびます。逆に言えばまだまだ世界狭いので頑張らないとですね… とりあえず最近はフォンクハウスっぽいのやりたくて勉強中です(笑)

Q. 現在までに多数のアルバム/シングルをリリースされていますが、その中で最も大事にしている作品は何ですか?

個人的には『Pessimius Results EP』ですね。ドレンチコアってスタイルを始めた後、PS2ゲーマー時代から染みついてたメタルコアと融合させて、うまく昇華できた作品だと思ってるんです。特に1曲目の『The Danger』は今でもヘビーユースしてますね。
CD作品だと『Mashcore Punishment』を推したいですね。僕のタグライン「Speedcore/Breakcore/Frenchcore/Mashup!!!!」の要素を全部バランスよく詰め込めた作品で、アートワークも赤と黒のテーマカラーで仕上げて頂き、めっちゃ気に入ってます。ちなみに、『Noise Of Yandere』を除けば一番人気のリリースみたいで、有難いことです!(笑)


Q. 海外のイベントにも出演されていますが、特に印象に残ったイベントは?

一番印象深いのは去年10月のオランダのADEVですね。アムステルダムの路上を走るトラックの上にDJが居て人々が練り歩くんですが、デモという体なので警察が警護してるんですよ! そもそも街中で爆音テクノが響きまくる光景が日本人には異世界すぎました(笑)
実質半月のツアーだったんで、その間のAMENZOOや韓国3連ギグも含めて、全部最高の思い出です!
どの国でも現地の人たちがほんとに優しくて…(泣)
英語全然できないのにスマホ翻訳に全ベットしてゴリ押すという、どう考えてもめちゃくちゃなプランでしたが… 間違いなく行って正解でしたね!この時のログはXで「#djkurara_holland_korea_tour」というタグを付けてポストしているので、興味のある方は是非チェックして頂ければなと。ちなみに国内だと2015年のTDOHが初大型ギグで、思い出深いです。

Q. 近年、注目しているアーティストやレーベルはありますか?

ROTATORは信者なのでリリースもないのにずっと追ってますが、近年はSefaですね。『LSD Problem』でユーフォリックフレンチコアに衝撃を受け、ダンスコアを知った時並みに世界が変わりました。
他だとレーベルとか通さず見つけたアーティストとして、Tr!xy、inoqx、Senchineru、Underscoreはすごく興味深いですね。また最近はハイパーフリップも勉強中で、breakchildがsageに移った今、特にLost Frog Productionは注目すべきかなと。
最後に、親友のOthermoonによるOtherman Recordsにも、ブレイクコアのパイオニアとして引き続き頑張っていってほしいなと思ってます(笑)

Q. 音楽活動を10年以上続けてこられた中で、得たものとは何でしょうか?

ニッチなことでも好きでやり続けると面白いことが起こる、と実感できたことですね。
交友関係、広い視野、心の余裕、音楽を始めなければ海外だって行くこともなかったと思います。お金かかりますし…(汗)
僕のような自己嫌悪癖の発達持ちみたいな人間でも、アーティストという仮面を被ることで自信すら得られました。ただ、ここで大切なのは作ったり組んだりする行為そのものが楽しい、という部分です。
この話を聞いてくれてる方も、いいねの数だけでそういう「好き」を捨てたりしないでほしいなと思います!

あっ、名前はちゃんと分かりやすいのにしとかないと無限に間違えられるという事も(笑)
繰り返しますがDJとKuraraの間、スペースなしが正解ですからね! 皆さんそろそろ覚えてくださいね!(笑)

Q. 今後のご予定を教えてください。

現在はボカコレ2025冬に出した「ブラックシュガー♡ワンダーランド」のブラッシュアップ済みシングルを完成させ、MV含め配信サービスでリリースしたいと考えています。Bandcampでは既にアーリーリリースとして出してますが、置換するか新規かで出す予定です。
後は別名義ですが、Ashen Disposalerという、EBM・インダストリアルテクノの名義で6曲入りのEPを出すつもりです。

ギグは直近に2本を予定しています
5/4 MUSE MOLT : Field Trip 01 (https://x.com/musemolt)
4/6 THE OUTSIDERS VRChatパーティー

YouTubeでも定期的に未アップ曲なんかを公開していく予定ですね。その他まだ未公開の色々が控えてたり。
秋M3とかにも何か出せたらいいなぁなんて考えてますが…まだ未定です(笑)
何かあればいつでも声かけてください!(djkurara[at]gmail.com)