一年に一度の「ハードコア・テクノの日」を祝うTHE DAY OF HARDCOREの開催を記念してGHz Blogで特集を開始!第一弾は今年のTHE DAY OF HARDCOREにて6年振りに復活するデジタルハードコア・ユニット「AKIRADEATH」のインタビューを公開!
190㎝の長身から炸裂する魂を削る様な絶叫ヴォーカル「神崎晃」とトラックメーカー/プログラマー「Coakira (aka Akira Sato)」 の二人のAKIRAからなる国内無二のデジタルハードコア・ユニット「AKIRADEATH」。
BPM200オーバーの超高速・超爆音故、モッシュ&ダイブが続き、「暴れる事」のみを追求した音楽スタイルを貫き通し、国内外のデジタルハードコア・ファンからスピードコア~テラーコア系のファンからも支持を集めていたAKIRADEATHの歴史を振り返る内容のインタビュー記事となっております。
現在、活動再開に合わせて過去作がBandcamp/サブスク解禁されておりますので、THE DAY OF HARDCOREでの復活ライブの前に彼等の音源を聴き込んでライブに挑みましょう!
AKIRADEATH biography
歌,作詞,作曲:神崎晃
作曲:Coakira
2006年結成
2007年8月 1stアルバム「殺し屋家業 (Killer Family Business)」をMADDEST CHICK’NDOMよりリリース
2007年8月の「THE DAY OF HARDCORE 2007」出演以降「X-TREME HARD」へのレギュラー出演開始
2008年5月 X-TREME HARDコンピレーションに参加、以降VOL.9まで参加
2009年4月 EP「獄中ヒーリング (Healing in Prison)」リリース
2010年2月 アルバム「宣戦布告 (Declaration of war)」リリース
2011年3月 EP「破壊的創造 (Destructive Creation)」リリース
2012年8月 アルバム「日本電子硬核ノ未来 (The Future Of Japanese Digital Hardcore!!!!)」リリース
2013年12月 EP「混乱状態 (State Of Confusion)」リリース
この間、X-TREME HARD以外にも都内を中心にハードコア系のみならずゴス系、サイバーパンク系など様々なライブイベントへの出演をつづけ、大阪・名古屋・札幌・台北・ソウルなどのイベントにも出演
2018年8月の「THE DAY OF HARDCORE 2018」を最後に活動休止状態に
2024年8月 「THE DAY OF HARDCORE 2024」にて復活を宣言、それに伴い過去の作品のデジタル配信/サブスクリプション導入を開始
Q. AKIRADEATHのお二人はどういった音楽のルーツをお持ちなのでしょうか?
Coakira:音楽のルーツとなると僕が幼少期に姉が聴いていたYMOとかJapanなんかのシンセポップ、ニューウェーブ系ですね。そこから少しづつ深堀していき中高生の頃はBauhaus、TheCure、NewOrderあたりのイギリスのニューウェーブ・ポストパンクやP-MODEL、プラスチックス、ゲルニカなんかの日本のニューウェーブ、それから有頂天をはじめとしたナゴムレコード系や石野卓球さんの影響でATATAKレーベルやMUTEレーベルのアーティストなどをよく聴いてました。80年代は宝島やフールズメイト、ガロなどの雑誌を読み漁る所謂サブカル少年でした。
90年代に入ってからはデトロイトテクノやエレクトロニックボディミュージックなどの出現の影響もあって段々と硬質な打ち込みの音を好むようになっていきました。
海外アーティストではMeat Beat Manifesto、PRODIGY、808STATE、T99等々、国内では電気グルーヴ、平沢進などをよく聴いていました。そして、90年代半ばにAtari Teenage RiotやEC8ORをはじめとしたDHR系が登場してデジタルハードコアに至ったという感じです。
ガバは意外とそんなに影響受けてないんですよ、エイベックスからロッテルダムテクノのコンピがでてた頃は聴いてましたが単独で聴いてたのはユーロマスターズぐらいでした。後々AKIRADEATHでガバのイベントでるようになって改めて聴いた感じですね。
神崎:初めて買ったCDは「TMN/Get Wild」で、そこからB’zやサザンオールスターズなど王道の歌謡曲を聴いていましたが、中学~高校生になるとバンドブームが来て、男らしいロックバンドのBOØWYが同世代の中で爆発的にヒットしていて、ゴシック・ロック色が強く男性Voでありながら妖艶な魅力の櫻井敦司さんに惹かれ、私はBUCK-TICKにハマっていましたね。そこから久保田利伸やCoccoなどの歌謡曲も聞きつつ、世に言うビジュアル系を好んで聞くようになり、X JAPAN、LUNA SEA、黒夢、L’Arc~en~Ciel、MALICE MIZERなど邦楽をメインで聴きつつ、バンドブームに乗っかり、LUNA SEA、黒夢、L’Arc~en~Cielなどのコピーバンドをやっていた頃に「音楽はどうしてビジネスになるのだろう?」の疑問を抱いたのがキッカケで(現在名)東京ビジュアルアーツ・アカデミーで音楽ビジネスを学び初めました。
その時の同級生から薦められたRage Against The Machineを聴き「なんて熱いメッセージと、着飾らない自由な音楽なんだ!」と衝撃を受け、そこから洋楽にハマり出し、当時流行りだったミクスチャー系のKorn、Limp Bizkit、Incubus、Linkin Park、System Of A Down、Slipknot、Deftonesなどを通り、フジロックなどの野外フェスで、PRODIGYやAtari Teenage Riotのライブを見て「デジタルサウンドでもバンドサウンドに負けないエネルギーが凄い!」とそこからエレクトロ・ロックにも興味を持ち始め現在に至ります。
Q. AKIRADEATH結成以前はどういった音楽活動をされていましたか?
Coakira:自分でバンドやるようになったのは高校生のときで有頂天のケラさんが主宰していたインディーズレーベル「ナゴムレコード」にはまってた時期で、人生や空手バカボンやドイツのDerPlan等がカセットテープにオケ録音したものを流してライブやってたのを知って「これなら楽器演奏できなくてもライブできるかも!」って思って始めたのが最初です。なので当時から生演奏のバンドはやったことなくてカセットMTRに録音したオケに合わせてライブやってたのでやってることは今も余り変わらないですね。
最初はニューウェーブ色の強いバンドをやってましたが90年代に入ってテクノやハウスが流行りだしてからは時流に乗ってサンプラー導入してブレイクビーツを多用したダンストラックと歌(ラップ?)のユニットをやってました。この頃は電気グルーヴとプロディジーの1stアルバムの影響が非常に大きかったです。
それからDHRの影響で突然音楽性がデジタルハードコア一辺倒になりました。この辺の経緯は以前マーダーチャンネルさんでインタビューしていただいたデジタルハードコアの記事を読んでいただけたら詳しく答えています。
2000年頃からCustomMummyというユニットで活動はじめて、このユニットも当初はデジタルハードコアやビッグビートっぽい曲をやってましたが段々民族音楽を取り入れたダウナーで呪術的な音楽性になったりエレクトロニカやったりと音楽性が変異していったのでデジタルハードコアに関してはAKIRADEATHにつながっていった感じです。
神崎:学生時代のバンド活動は流行りに乗り~だったのですが、本格的な音楽活動は、専門学校時代の同級生とハードコアミクスチャースタイルで、サンプリングやDTMで楽曲制作をし、そこにツインボーカルのラップを入れつつ、日本らしさを取り入れたいね~という安易な考えから着物を着たり曲中で模造刀を使った殺陣のパフォーマンスを行うユニット「鯔背組」を作り活動していました。
参考音源:ELECTROCK CIRCUSコンピレーション
Track2 「Spiky」は神崎の在籍していた「鯔背組」の前身ユニットで収録曲「I Like It」は後にAKIRADEATHのレパートリーとなった。
Track6はCoakiraのユニット「CustomMummy」初期の代表曲
Q. AKIRADEATHが結成された経緯を教えてください。当初からデジタルハードコアをメインとしたユニットにしようと思われていたのでしょうか?
神崎:鯔背組は関東を中心にライブハウスでの活動をしていたのですが、新宿で行われたイベントで初めてCoakiraさんが参加するユニット、CustomMummyと共演し「なんてイカれたユニットなんだ!」と感動しつつ、同じ二人組ユニットとしてシンパシーを感じつつ「デジタルハードコアはお好きですか?」のコミュニケーションから交流が始まり、お互いの自己紹介の時に「晃です」と双方が同じ漢字の名前で、デジタルハードコアが好き+王道から外れて個性的なスタイルの音楽活動に運命を感じていた時期に、丁度就職活動などもあり、鯔背組が解散になった時に「そういえば日本で本格的なデジタルハードコアって、THE MAD CAPSULE MARKETS以外にはあまり知られていないし面白いかも」とCoakiraさんに提案したところ「おぉ!楽しそうだね!」とお返事いただいたのが始まりです。
Q. AKIRADEATHのビジュアル・イメージにはどういったコンセプトがありますか?
神崎:元祖デジタルハードコアは反政治・反体制など過激なメッセージが強いですが、そこにある本質は「資本主義体制の束縛から逃れ、自由になる為の戦い」だと私は解釈しています。日本は敗戦・GHQの影響もあり、色々矛盾があったり窮屈な事に対し1970年代の日本の風景が混ざり合う映画「AKIRA」が爆発的にヒットした事もあるので「ジャパニメーション/アニメの要素は世界的にも受け入れられるのでは?と思い、ジャケットや、ライブ衣装を構築していました。
個人的に、Coakiraさんは身長や髪型から映画、AKIRAに出てくる、政府の秘密の超能力実験の被験者「AKIRA」的なビジュアルを連想させ、私は映画、赤い眼鏡や人狼を彷彿とさせるプロテクターやマスクなどの要素を取り入れてました。そこが丁度、神崎は前線で戦う兵隊:Coakiraさんはそれを裏から操る参謀的な構造がなんとなく定着しましたね。
Q. 1stアルバム『Killer Family Business ~殺し屋家業~』が生まれた背景について教えてください。楽曲制作はいつ頃から開始されていましたか?収録曲で特に思い入れのある曲はありますか?
Coakira:当時渋谷にあったハードコアテクノ専門店「グルーヴィー」にデモ音源を持ち込んだのがきっかけでDJチャッキーさん経由で大阪のWASTさんからMADDEST CHICK’NDOMからリリースするお話を頂いて制作したアルバムです。楽曲の半分ぐらいはCustomMummyや鯔背組でもやってた曲のAKIRADEATHヴァージョンであと半分は新規に作曲したと記憶してます。
作曲は当時まだPCを使わずにKAWAIのQ-80というシーケンサーとRolandのS-760というサンプラーでトラックは全部作ってました。
歌は神崎君が自宅で録音して歌のトラックだけCDRに焼いてもらってウチで当時YAMAHAからでてたMDの8トラックMTRでミックスしてました。今考えると結構な手間かけてましたね(笑
特に思い入れある曲は1曲目の「I Love You」ですね。この曲から「なんか新しいことが始まる」という予感がしました!
神崎:思い入れのある曲は9曲目の「Dead Coaster」。この曲は元々Coakiraさんの音楽ユニットCustomMummyの持ち曲で、初めて聞いた時に「あそこにボーカル入れたらどんな風になっちゃうんだろう?」とワクワクしながらレコーディングさせていただきました。早いBPMなのであまりメロディーなどは意識せず、直観に任せストレートにレコーディングしたのですが、それが現在にも繋がっているAKIRADEATH節だったのかと思います。
Q. AKIRADEATHが活動を開始した時期には国内からスピードコア~デジタルグラインド~ブレイクコアなど、エクストリームなダンスミュージックをクリエイトする新しい世代のアーティスト達が増えていました。シンパシーを感じていたアーティストやライバル視していたアーティストなどはいますか?
Coakira:当時よく一緒にライブやってた「die!!die!!color!!!」はシンパシーも感じてたしある種のライバル意識もありましたね。デジタルハードコアの中ではかなりポップな楽曲をやってて我々にはないキャッチーさがあって本当に良いバンドでした。残念ながら現在は活動していないのですが、youtubeで検索すると曲は聴けるのでデジタルハードコア好きな人は是非聴いて欲しいバンドです!
ozigiri君はスピードコア,デジタルハードコアを基軸としたトラックにシャウト系のVoが入っているという共通点もあったのでかなりシンパシーを感じました。die!!die!!color!!!の主宰してたイベントで対バンしたときに初めて会ったと思うんですがリハで音聴いて「この人とは仲良くなれそう」って即座に思いましたね(笑
臨界モスキー党の犬田彦さんやDieTRAXさんは僕と同じくハードコアとナゴムレコードがルーツにある所がビシビシとシンパシー感じましたね。犬田彦さんとは後に二人で「犬殺-INUKORO-」というユニットを結成しています。
あとやはりm1dyさんの存在は大きいですね。それまでいくら速い曲といってもキックの四つ打ちでBPM300ぐらいが限度だったんですがm1dyさんはキックを八分音符、十六分音符で鳴らしててメッチャ速いのに楽曲として聴いてちゃんとカッコイイという!実は僕のが年上なんですが人間的にも「兄貴」って感じでほんとカッコイイ人です。
自分達は元々ライブハウスでバンドの括りで活動していたのでX-TREME HARDにでるようになってクラブのハードコア・シーンを知った感じだったのでバンドとは文化が全然違うなと当初カルチャーショックを受けましたね。バンドだとライブやるのにバンド側がノルマ払うのが常識なのですがクラブだとまずノルマがない、CD出すのもバンド自腹だったりレーベルと折半だったりが常識だったんですが、これもレーベルが負担してくるとか、こんな好条件でいいのか?騙されてるんじゃないか?って今じゃ笑い話ですが当初は本気で疑ってしましました。(チャッキーさん疑ってごめんなさい!)それぐらい価値観が一変した感じはありました。
あとX-TREME HARDのコンピに参加したときに他のアーティストのミックスが非常に上手くて驚きました。正直それまはではミックスとかかなり雑で荒っぽいのがハードコアだっていう概念があったんですが他のアーティストがハコでの鳴りとかどうしたら音圧あげられるかとか意識して作ってるの聴いてウチもだいぶ作曲方法が変わったと思います。この辺はプロデューサーのDJチャッキーさんやm1dyさんに色々アドバイスいただいたのが大きかったです。
神崎:メインの音楽性での話しはCoakiraさんと共感しかないので、私はボーカル/歌が入った楽曲の視点から話しをさせていただきますと、まずは、SmileHuntersさん。テクノサウンドと日本のサブカルが最高の塩梅で融合しているアーティストで、ファーストアルバム「失脚!?小癪な咀嚼公爵」は今でもスマホに入れて聞くほど大好きで、テクノとおバカ要素を盛り込んだ彼らは「とことん突き詰める」を具現化しているアーティストでとても勉強になりました。その後、メンバーのEnjo-GさんがトラックメイカーのBUBBLE-Bさんと結成したユニット「BUBBLE-B feat. Enjo-G」さん。今もYOUTUBEで聞けるトラック「Chimpo On The Beach」「Enjo-Gのシャッシャッシャッ」に衝撃を受け「大人の本気って怖いな」(笑)と思いました。ちなみにその後ご縁があり、ポッドキャスト「BUBBLE-B・m1dyのこれ、食えますか?」にAKIRADEATHが出演させていただき、アンダーグラウンドな話をさせていただいたのは最高の思い出です。
日本のハードコアテクノ・Jハードコアシーンはサブカルやオタク文化からインスパイアされているのもが沢山あり、その要素が色濃く出ていて、とても影響を受けたアーティストが「ozigiri」さん。
やばい音楽要素の全てを取り込んだ、デジタルグラインドコアサウンドに、猟奇的なメッセージを乗せた楽曲がメインで、ライブでは絶叫しまくる危ないソロアーティスト(笑)。
何度か共演させていただき、恐る恐る話しかけたらとても気さくで優しい青年で「Coakiraさんと一緒の、一見普通だが何かのキッカケで狂人になる」カテゴリーの人だと認知しました(笑)。デジタルハードコア/スピードコア要素を取り入れトラックの凶暴性はさることながら、彼のボーカルセンスは抜群で、Slipknotのヴォーカル:コリィ・テイラーの様なデスボイスから、Convergeのヴォーカル:ジェイコブ・バノンの様なスクリームまで自由に扱えるテクニックは尊敬しかありません。(内緒かもですが素顔がイケメンな点も、猟奇ポイントが加点されています)
Q. AKIRADEATHの歌詞はどのようにして作られていましたか?
神崎:邦楽、歌謡曲の特徴は、恋や愛、夢や想いなど聴き手が普遍的に好むもの・安らぎや共感を抱く内容を常に提供しているが、ヘヴィメタル/ハードコアジャンルの音楽は、「Slayer」や「System Of A Down」の様に社会や政治に対する「怒り」や、「Korn」「Papa Roach」の様に、過去の経験や自分に向きあっているようなパーソナルで内省的なものが多く、人間の本質を歌っている物が多い。
日本でも頻繁に首相や政策が変わったりする理不尽な状況や、教育や会社組織の中でも古い体制や考え方が良しとされる悪しき文化から進化脱却が出来ていない状況で、その事に悩んだり苦しんだり悲しんだりしながら、何とか溶け込もうとしている人は沢山いて「反体制」の想いは沸々と溜まって行くが文化上、海外の様に声を上げるのは難しい国や文化だと思います。そんな人たちの多くが歌謡曲以外の刺激を求め、ハードコアのジャンルを知り、AKIRADEATHの世界に触れる事で、背中を押されたり、もう少し頑張れると考えてもらえたり、ライブでは思いっきり開放できる様な内容を意識して書いていますという名目で、ちょっぴり右寄りな個人的な思想を殴り書いているだけかもしれませんね(笑)
「ヘヴィメタルを聴くことでストレスが軽減され、より多角的・論理的に考えるようになる」のレポートで有名な臨床心理学者ニコール・アンドレオリ博士の言葉は、私を構築する要素として大きな影響を与えています。
Q. 2012年にリリースされたアルバム『The Future Of Japanese Digital Hardcore!!!!! -日本電子硬核ノ未来-』はタイトルにも表れているように「デジタルハードコア」を再構築したような内容であったと思います。このアルバムのコンセプトについて教えてください。また、今作をリリースした後に活動休止期間に入られますが、それにはどういった理由があったのでしょうか?
Coakira:名前が示す通り「日本人によるデジタルハードコア」という部分に拘って活動してきたAKIRADEATHのその時点での集大成的なアルバムでした。
最初の2枚ぐらいはDHRそのものの粗い質感のデジタルハードコアだったのが3枚目「宣戦布告」あたりから上記に答えたようにX-TREME HARDにでてた方々の作曲法に影響を受けてクリアーでキレのある音に徐々に変異していってこのアルバムで自分達なりのスピードコアやテラーコアなどのクラブサウンドを経由したデジタルハードコアを追求した作品になっています。
活動休止はとくに宣言した訳ではなく神崎君がアイドルのお仕事をはじめてもの凄く忙しくなってなんとなく活動が停滞していって、そのままずっとやってなかったという感じです。その間自分はCoakira名義でソロ活動を始めて「Fujimi Industry Records」というレーベルを立ち上げて活動していたので特にAKIRADEATHを止めたつもりはなくてまた機会があればいつでもやろうと思ってました。
Q. AKIRADEATHとしておこなったライブで最も印象に残っているライブについて教えてください。
Coakira:THE DAY OF HARDCOREは毎回もの凄いお客さんのエナジーでどれも印象的ですが中でもライブ後にブラジャーが落ちてた時は衝撃的でしたね~どうやって脱げたのか不思議で(笑
あとは台湾のハロウィンイベントに出たときはAKIRADEATHを全然しらないはずの台湾のお客さんが滅茶苦茶盛り上がってて嬉しかったです。
神崎:札幌、名古屋、大阪など関東以外の公演も取り上げたかったのですが、やはり、レギュラーで出演させていただいてるイベントの「THE DAY OF HARDCORE 2015 硬核感謝祭」。
AKIRADEATHのライブではモッシュ&ダイブが頻繁に発生するのでライブ終了時に「落とし物あったらステージの方に届けてくださいね~」をアナウンスした時に、スマホやアクセサリーが届けられる中で「女性の下着:ブラジャー」が…。そりゃ暴れて靴が脱げたりTシャツも破れたりはありますが、なぜ下着が…と思いつつ、この日のライブはウォール・オブ・デス(大昔の合戦の如く左右に分かれ、曲が始まった瞬間に全員が体ごと突撃する少し危険なモッシュ)が発生したりと激しい日だった事を今も鮮明に覚えています。落とし主様はちゃんと帰れたのだろうか…。
Q. 今年8月3日に開催されるTHE DAY OF HARDCOREにてライブ出演されることがアナウンスされていますが、どういったキッカケで出演することになったのでしょうか?
Coakira:5月に神崎君から3年ぶりぐらいに「仕事も私生活も落ち着いてきたのでまたAKIRADEATHやりませんか?」みたいなメッセージが届いて「よし、やろう!」ってことで復活することになったのですが、その時点でライブをやるとかは特に決まってなくて、ちょうど「THE DAY OF HARDCORE 2024」が開催されるのを知ったのでM-Projectさんにお願いしたところ、その時点で全出演者決定してたので難しいというお話しだったのですが出演者の一人である赤鬼さん(RedOgreさん)がご自分の出演時間の半分をAKIRADEATHに譲ってくださって出演できることとなりました。
快諾してくださったM-Projectさん、ご自分の出演時間を譲ってくれた赤鬼さんには大変感謝しております!
Q. 今後、AKIRADEATHとしての活動は再開される予定なのでしょうか?
Coakira:はい、それぞれの仕事や活動もあるので以前のように頻繁には出来ませんがオファーあればライブもやりたいし新しい音源なども制作予定です!
Q. 最後にメッセージを。
Coakira:「THE DAY OF HARDCORE」には2018年以来6年ぶりの登場となります!かつて聴いてくれてた方はもちろん「AKIRADEATHなにそれ?」という若い方々にも是非楽しんでいただけたらと思います。
AKIRADEATH:何も考えるな!音の暴動に身をまかせ、燃え上がれ本能のままに!!!!