“GHz Interview30” Adamant Scream a.k.a. Miss Hysteria / Lucy Furr

GHz Interview

2000年前半からMiss HysteriaとしてEnzyme RecordsとBassmachine RecordsからEPやシングルをリリースし、OphidianやWavolizer、Igneon Systemとのコラボレーション・トラックでミレニアム・ハードコアやインダストリアル・ハードコア・シーンを中心に人気を得ており、近年はPRSPCTを拠点にハード・ドラムンベース/クロスブリード・プロジェクトのLucy Furr名義でも活動するAdamant ScreamことMalin Kolbrinkへのインタビューを公開!

先日リリースされたAdamant Screamの二作目となるEP『This Breaks My Fucking Heart EP』は、伝統的なオランダのハードコア・サウンドとドラムンベースのパワフルなサウンドをインダストリアル・ハードコアにミックスさせた独自のスタイルを開拓し、インダストリアル・ハードコアの新しい方向性を広げ、再び大きな注目を集めているAdamant Screamに過去から現在までの活動歴をお話して頂きました。
ハードコアとドラムンベースを繋ぎ合わせ、最近ではテクノも取り込み、時代の流れを読みながらも自身のコアなスタイルを推し進めるAdamant Screamのこれから目指す先が垣間見える貴重な内容のインタビューとなりました。


Q. 出身地を教えてください。今はどちらに拠点を置かれていますか?

オランダのアメルスフォールトの出身で、現在はユトレヒトに住んでいる。

Q. あなたにとってアメルスフォールトはどんな場所でしたか?

アメルスフォールとはとても楽しい所だった。幼い頃は友達と外でよく遊んでいたけれど、13〜14歳で興味の対象が、乗馬からパーティーへ出かけることへ変わった。以前は今と違って、バーへ出かけてアルコール飲料を注文しても全く問題はなかったんだよ。高校生活は嫌いだったな。友達と過ごすのは楽しかったけれど、 朝早く起きて、システムの中に押し込まれるのが大嫌いだった。高校を卒業した後は、何を勉強しようか、自分の進路がさっぱり分からなくて、とりあえず2〜3年間フルタイムで働いた。そして、21歳の時にまた勉強を始めた。以前よりも少し落ち着いて、あまり反抗的でなくなったし、やる気が出て、全てが上手くいった。ソーシャルワーカーとして学位を取得して、音楽活動の次にパートの仕事を始めた。

Q. 音楽に興味を持ったキッカケは? 最初に買ったレコードやCDなどを覚えていますか?

もの心ついてから、ずっと音楽に夢中だったよ。子供の頃にピアノを習っていたこともあって、テープレコーダーやCDプレーヤーのような機材で実験を始め出した。12〜13歳の頃、主に学校のパーティーでDJをするようになって、ホンモノ(Technicsのターンテーブル)を買うために貯金をしていた。初めて買ったレコードは、トランスのEPで「Strings of Harmony」(1998)だったけれど、徐々にもっともっとハードコアにハマっていって、1999〜2000年にかなりの数のレコードを買った。The Stunned Guys & DJ Paul Feat. MC Ruffianの「Hardcore Takin’ Over」は、そのうちの一枚だよ。だけど、レコードはすごく高かったなぁ!

Q. ハードコア・テクノと出会ったのはいつでしたか?始めて聴いた時の印象は?

レイブを中心に、レイブのCDやThunderdomeのCD(カセットテープだったかも!笑)を聴き始めた。この音楽には、私が10代の頃に持っていた、怒りと反抗があったから惹きつけられたと言えるよ(笑)まだ若すぎてパーティーへ出かけることはできなかったけれど、全てが魔法にかかったようだった。1998年、14歳の時に、生まれて初めてのレイブパーティーMysterylandへ潜入することができたんだ。

Q. あなたの友人や周りの人々はハードコア・テクノに対してどういった反応を示していましたか?

学校ではハードコア好きな友達はいたけれど、それほど多くなかった。私の家族はハードコアがまともな音楽だとは考えていなかったし、私がまた反抗的になったと、周りの人の批判的な表情を覚えている。以前は頭の後ろを剃り上げて、典型的なガバのファッションだったんだよ。皆がそれぞれのグループに属していた・・スケーターだった子もいたし、ガバやラッパーもいて、理由もなくお互いを嫌っていたな(笑)勿論、これは年齢的なものだよね。私の両親は、パーティーでしばらく時間を過ごして、私のDJセットを見たり、集まったキッズから出てくるポジティブなエネルギーを体験して、全てをもっと真剣に受け止めてくれるようになった。

Q. Miss Hysteriaとしての活動をスタートさせたのはいつからですか?名前の由来は?

初めてのギグは17歳の時で、名前を考えなければならなかった。ジャンルのせいもあって、Hysteria(ヒステリー)だけではかなり残忍な感じに思えたけど、当時は名前の前にMiss(ミス)やLady(レディー)をつけるのはごく普通のことだったよ。性別を特定したアーティスト名を使うことに対して、私の見方は、だいぶ大人になったことで変化したけれどね。

Q. あなたがハードコア・シーンに参加した時のシーンの状況とは?

自分でパーティーを始めた時、覚えている限りでは、ハードコア、トランス、ブレイクビーツに大きく分かれていて、それからニュースタイルが出てきて、テンポは遅くなっていった。スローなオールドスクールと速いアーリーレイブがあって、プロデューサーたちは、こういう909キックにディストーションをかけて新しいキックの音を探し続けていた。最終的に、これは現在ミレニアムハードコアと呼ばれるものに変化したよね。こういうジャンルの古い曲をかけると、たくさんの素敵な思い出がよみがえってくる。

Q.ご自身で音楽制作を開始されたのはいつ頃からですか?当初使っていた機材は?

DJを始めてから数年後、2003〜2004年頃からCubaseで曲作りを始めたよ!

Q. あなたの最初のリリースは”DJ Wicked Meets DJ Lunatic And Miss Hysteria-Hard-Quake EP”で正しいでしょうか?このレコードが生まれた経緯を教えてください。

この初のEPは、それまでの発見の旅を制作に込めるように、試しに作ってみたものだよ。その当時はもう少しハードウェアを使っていた。それからサンプリング、シンセ、MACKIEのミキサーなど。Michel(DJ Wicked)が、私とPatrick(DJ Lunatic)をプロデュースの世界へ案内してくれて、私たちはパーティー向けのEPを作ろうと試みた。 計画は立てずに、まさに実験しながら作ったようなもので、サウンドが良かったら、そのまま残すというやり方だった。

Q. あなたが最初に出演したハードコア・フェスティバルは?

Partyflock.nlのアーカイブで詳しく調べないといけないな(笑)初めて出演した野外フェスティバルは、2005年のNightmare Outdoorだった。

Q. 2000年代のハードコア・シーンを振り返ってみて、今あなたは何を感じますか?ご自身の中で音楽面でも生活面でも特に変化した部分とは?

たくさんの変化があった、人も変わるし、音楽やテクノロジーは進化していく。週に5回のギグをこなしたり、長年がむしゃらにやってきた。どんなに酷く汚い場所でも、それぞれ独自のクラブ、バー、カフェ、パーティーがたくさんあったんだ。同じクラブで月に4回もプレイしたこともあったよ。この頃の週末は楽しくもあり、くたくたに疲れてもいた。今はここまで忙しく活動する必要はないと思っているし、もっと自分のセットを重視して、その夜のパーティーと集まった観衆そのものを体験したいと思っている。今は週末に時々休みを取ってもいいと思っているよ。(年を取ったってこと?;-))状況も変わり、ほとんどのバーやクラブが閉鎖されてしまった。全てがフェスティバルのシーズンに重点を置いて取り組んでいるよね。年間を通して、もう少しクラブでのイベントを増やせたら良かったのだけど、クラブのオーナーにとっては金銭的にとても困難だったと思う。

年を重ねるごとに、自分がやりたくないものがどんどん分かってくるようになる。特に私の新しいプロジェクト「Adamant Scream」では、何が人気なのか考えるのではなく、自分が大好きな音楽に集中してみた。そうしたら、自分の音楽の好みが一味違うことに気がついたよ(笑)インダストリアル・エリアが、たくさんの大きなフェスティバルに参加していて嬉しいけれど、もっと私たちのようなジャンルのエリアがあったらなと思う。もっと選択肢や対極なものがあるべきだ。小さいインダストリアル・エリアでは、満員で人が多すぎるんだ。私たちの存在に気がついて受け入れて欲しい!

Q. あなたにとってインダストリアル・ハードコアの定義とは?

私にとってインダストリアル・ハードコアとは、曲のある特定の感情、雰囲気、サウンドである。フェスティバルの大観衆が喜ぶような、基本的な公式に沿って曲を制作するのではなく、アイディアやストーリーを念頭に置いて作っている。聴きやすい音楽ではないから、このジャンルが好きな少数の観衆のために常に頑張りたいと思っているよ。サウンドは、もっと歪んで、怒りに燃えて、攻撃的で、または不気味でダーク・・もっとエクスペリメンタルで多様でもある。個人的には、内容的にも構造的にもルールが少ないように感じている。


Q. Lucy Furr名義ではハードコア・ドラムンベース/クロスブリードをクリエイトしていますが、このプロジェクトを始めた経緯は?ハードコア・ドラムンベース/クロスブリードのどういった所に興味を持たれましたか?

2007年頃、ドラムンベースとそれを取り巻くシーン全体に、とても惹かれていると感じていた。ブレイクビーツ、違った雰囲気、もっと柔軟であると感じて、DJはもっとクロスオーバーなものをかけていた。ハードコアは、以前のパートナーとやっていた私の本業だったけど、自分にとって何かが欠けていたんだ。だから趣味のような遊び感覚で始めてみたら、それがすごく楽しかった。2014年からもっと本格的に始めて 、Lucy Furrとして初EP「Desolation EP」をリリースした。

Q. ハードコアを作る時とドラムンベースを作る時は違った思考で楽曲を作られていますか?

うん、もう少しクロスオーバーなものをかけたり、制作することにもっと興味を持つようになった。ブレイクからキックへ、ブレイクビーツやストレートキック、キック/スネアへ切り替える。その当時は、ドラムンベースとブレイクビーツをハードコアのセットへ組み込もうとしていたよ。

Q. クロスブリードの登場はハードコア・シーンにどういった影響を与えたと思いますか?

そうだなあ、私が思い出せるのは、シーンはストレートなキックだけではなくて、ブレイクビーツやキックとスネアに対してもっとオープンマインドになったこと。それは良かったと思う!充実して、創造性が幅広くなったし、「インダストリアル」に新しい傾向をもたらして、ハード・ドラムンベースとハードコアは融合していった。

Q. Adamant Scream名義での活動をスタートさせたのは何故ですか?

2014年はMiss Hysteriaとしてのソロ活動は続けていたけれど、何かが起こり始め、状況は変化していて、自分の音楽に妥協しなければならないことに気がついていた。ファンは必ずしも私が進もうとしている方向へフォローしてくれた訳ではない。「従来の」インダストリアルは行き場を失い、次第にラインアップからも少なくなっていった。それと、質の高いメインストリームは、わりとシンプルな曲だけは受けが良かった。テンポは上がり・・・観衆のタイプは全く違うのに、アップテンポとインダストリアルのDJが同じエリアのラインアップに入れられていて、あれは本当に紛らわしかったよ。一度、変な順番でタイムテーブルを組まれたことがあって、何人かのアップテンポのDJセットの後、最後に私がプレイしたことがあった。曲作りは続けたけれど、こういうパーティーでは居心地が悪かったし、もう楽しむことができなかった。

私が本当に好きな音楽を作ることを、阻止するものがあったように思えたし、「Miss Hysteria」との繋がりをもう感じなくなり、成長してそこから卒業していたようにも感じたよ。ハードコアは止めようか?と自分に問いかけた。この状況や全ての苦労について、仲間と何度も何度も話し合った後、Miss Hysteriaを捨てて、新たにやり直そうと決心した。自分の性別とは関係ない、今の自分を表す名前が必要だった。Adamantは、諦めない意志を強くすることを意味し、Screamは自分の音楽に与える力とエネルギーを表している。この新しい名前で、自分が望む通りに曲作りをする自由を得た。制限や限界がない自分の大好きな音楽を作るために。こうして、私は再び音楽でハッピーになれた。:-) たまにMiss Hysteriaミレニアム・セットをやってもいいし、自分の原点は絶対に忘れないけれど、ただそれだけだよ。

Q. 最近ではDJ Hidden、Limewax、Sinister Souls、Dolphinといったアーティストとコラボレーションされていますが、コラボレーションするアーティストはどうやって決めているのでしょうか?レーベル側からの提案などもありますか?

コラボレーションは、色々な条件で決まる。スタイル的に相性が良いかもしれないけど、仲のいい友人とコラボして、どんな展開になるかを見るのも、すごくクールだし、変わった組み合わせはおもしろいと思う。質問の中で名前があがっているアーティストは、私がとても尊敬しているプロデューサーなので、彼らと曲作りが出来で本当に光栄だよ!

Q. 現在使われている機材は?楽曲のアイディアはどういった時に生まれますか?

今もCubaseを使っているよ!スタジオにはAdam A7Xスピーカー、ヘッドフォンはSeinheiser HD 650を使っている。FabfilterやWavesからのセット販売など、全てのプロジェクトに使うプラグインを複数持っている。Virus TIやZ3TA2、Rapture、Alchemy、FM8、Serum、EKS Proのようなソフトシンセサイザーもよく使うよ。曲のアイディアは色々な所から出てくる。映画の中で聴いたボーカルが曲作りのきっかけになることもあるし、自分の気持ちや感情、または何かがきっかけで、頭の中を空っぽにするような曲を作ることもある。素晴らしい海外でのギグから自宅へ戻ると、エネルギーとインスピレーションでいっぱいになる。だから、決まった曲作りの方法はなくて、とにかく、ただ書くだけだ・・


Q. 今までリリースした中で特に思い入れのある作品は?

う〜ん、いくつかの曲には、直接的ではないけれど、それにまつわるストーリーがあるんだ。過去の出来事からは色々なひらめきが得られるよ。曲の中でボーカルを使って、メッセージを少しほのめかすのが好きだな。でも私以外は誰にもその意味が分からないの。 🙂  私にとってとても特別な意味のある「It’s a Mess」という未発表の曲があるのだけど、ある酷く嫌な気持ちや感情を処分するのに役に立った。パラレルワールドでは同じ種類の例。この曲は一晩で作ったんだよ。Lucy Furr & Sinister Soulsのコラボレーション「Genocide」もかなり感情的な曲で、いまだにDesolation EPから沢山の曲をかけているけど、私の最初のハード・ドラムンベースの曲の1つでもある。次のAdamant ScreamのEP「This Break My Fucking Heart EP」は、怒りと燃える炎でいっぱいだよ。ジャケットのデザインからも分かると思う。この作品をすごく誇りに思ってる!それから「What Really Matters」と「Worst Possible Misery For Everyone」は、Miss Hysteria時代からの私にとって特別な曲だよ。

Q. 近年はインダストリアル・ハードコアにテクノをミックスしたDJセットを披露されていますが、テクノにも興味を持たれていますか?

私はいい音楽に関心があって、インダストリアル・テクノやインダストリアル・ハードコアの中から、たくさんの興味深い曲やプロデューサーを探し出す。シュランツやハードテクノの勢いも大好き。だから、自分のセットでは全てを混ぜ合わせて、気分が上がるエネルギーを作り出したいんだ。

Q. [KRTM]、Tymon、Ghost in the machine、Ansome、Tripped、Percといったアーティストの作品やDJセットによってハードコア・テクノとテクノはクロスオーバーしていますが、何故こういったクロスオーバーが引き起こされたと思いますか?

完全には分からないな。この動向については、私の個人的な考えからしか分析することはできないけど、アップテンポのトレンドの影響で、ダウンテンポな曲が少なくなり、「アップテンポのファン」ではない人が好むラインアップが少なくなったのだと思う。リスナーは「迷子」になり、テクノシーンに惹かれ始め、この空間を埋めているのかもしれない。それに、現在の(アップテンポ)ハードコアシーンが、言ってみれば、終わってしまったと感じている沢山のDJやプロデューサーも惹きつけていると思う。テクノファンがハードコアのパーティーへ来るよりも、もっと多くのハードコア・ファンがテクノのパーティーへ行っていると思う。ハードコアのDJがテクノ・パーティーのラインアップに入っているし、コラボレーションもますます増えている。サウンドとテンポがばっちり合うし、制作、DJセット、ラインアップにおいて、とてもおもしろいクロスオーバーができたと思うよ。

Q. あなたの最近のお気に入りのレーベルやアーティストは?

私のプレイリストで一番多くかけたアーティストは、Ophidianだと思う。音楽に関して言うと、私の好みはとても幅広いよ。いくつか挙げると、The DJ Producer、The Outside Agency、Dolphin、DJIPE、Tymon、Obi、Scalameriya、Enzyme X、[KRTM]、Somniac One、Sacerdos Vigilia。それとドラムンベースでは、BSE、Katharsys、Merikan、Sinister Souls、Phytius、L33、Counterstrike、DJ Hidden、The Clamps、Synthakt、Hallucinator、Limewaxなんかをよくかける。レーベルでは、PRSPCT Recordings、Heresy、Meta4、Genosha、Eatbrain、Blackout Music、Ram Records、Algorythm Recordings、Othercide Recordsなど。

Q. 2000年代と2010年代であなたが最もプレイした3曲を教えてください

あぁこれは難しい・・

2000年代
「Psychiatric Ass」Nosferatu & Ophidian
「The Mine」Ophidian
「WO 3」Catscan

2010年代
「Inception By Sound」Ophidian
「The Silence」The Outside Agency & Ophidian
「Total Confusion」I:gor

という感じかな。

Q. 音楽活動をしていない時は何に時間を使われていますか?

このインタビューは、コロナのパンデミック中に書いている。パンデミック以前からよく家で仕事をしていたから、大きく変化した面はないけれど、今私の日常生活は少し違って見える。曲作りをしたり、それ以外にもソーシャルメディアやポッドキャスト、マーチャンダイズ、その他いろいろ仕事がある。健康を維持するために、毎日ウォーキングやジョギングなどの運動をするよう心がけて、精神的にも健康でいられるし、ぐっすり眠ることもできる。週を通して、ヘルシーな食事作りを楽しんでいて、ワインやビールは週末だけにしたいのだけど、隔離生活の間、これだけは上手くいかないな(笑)週に一度は両親に会いに行き、フリーランスのソーシャルワーカーとして何時間か働いている。ロックダウン前の生活に戻りたくてたまらないよ。友達と出かけて、一緒に食べて飲んで、お喋りするのが大好きなんだ。ギグのために他の都市へ旅したり、時には全てが無意味に感じられるかもしれないけれど、今は誰もが自分の中のネガティブな部分と向き合っているだろう。今は変な期間だけど、早く普通の生活が戻ってくるといいなと思っているよ。

Q. コロナによって今後のハードコア・シーンや業界はどういった風に変化すると思いますか?あなたの音楽にも何かしらの影響を与えていくと感じますか?

これから大きなフェスティバルがどうなるのか見当もつかないけれど、小さいイベントやクラブナイトが少しずつ戻ってくるといいな。それまでの間、皆が金銭的になんとかできることを願っている。もしかしたらアナログがカムバックするかもしれない。ライブストリーミングをするために、埃をかぶっていたターンテーブルを引っ張り出す人が沢山いる。今誰もがライブ配信をしているよね、パーティー体験全体がデジタル化され、新しい形が将来生まれて、そこからお金を儲けることができるようになるかもしれない。人はもっとクリエイティブになっていくと思う。私たちプロデューサーは、週末に大音量でプレイするために、普段は人から孤立して音楽に投資をしている。あ〜早くイベントでプレイしたい!普段の仕事の半分を失った気分だよ。

Q. 音楽活動においての目標などはありますか?

音楽に満足していたいし、充実したキャリアを持ちたいと思う。それを達成するために必要なことをするのみ!自分の音楽のキャリアと他の活動、それから私のソーシャルライフと家族とのバランスを見つけて維持したいと思っている。(この過程は常に行動的である)

Q. 今後のスケジュールを教えてください

新しいEP「This Breaks My Fucking Heart」が5月29日にリリースされるよ!すごくワクワクしてる!Mike Redmanによる素晴らしいアートワークと共に、バイナルでリリースされる。155〜190 bpmで、Thrasherとのコラボレーションも入っているよ。こうしてお喋りしている間にも、ドラムンベースの曲作りの仕上げをしていて、それから、まだ告知はできないけど、とてもおもしろいリミックスに取り組んでいる!最新の情報は、私のソーシャルメディアでチェックしてね!

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翻訳:Megumi