GHz Junglist interview #3 INDRA

GHz Interview, GHz Junglist

GHz監修によるJungleコンピレーション”GHz Junglism”の発売を記念してJUNGLE特集を開催中!!!

今回は90年代初頭より活動している日本を代表する大物JUNGLIST「INDRA」さんのインタビューを公開!

日本で最も早くJUNGLEをプレイしていた本物のJUNGLISTであり、「サイケアウツ」での活動や「Soundmurderer」とのツアーなどで長年に渡って日本中でJUNGLEをプレイし続け、近年ではDJ HORNさんとのユニット「JUNGLE TWINZ」での活動やパーティー「URBAN BASS LOUNGE」の開催など、常に関西のダンスミュージック・シーンの第一線で活躍されています。

このインタビューではJUNGLE創成期の貴重な話を中心にINDRAさんのJUNGLISMが伝わる素晴らしいお話を沢山お聞きしました。
昔からJUNGLEを聴いている人には懐かしく、最近JUNGLEを好きになった人には新たな発見になる事が見つかる貴重な内容の物となっております。

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INDRA
https://twitter.com/INDRA_JUNGLIST
1974年生まれ 大阪府出身
日本のJUNGLE/Drum&Bassシーンを黎明期から支え続けるオリジナルジャングリスト。ラガマフィンなプレイスタイルで全国のジャングリストから支持を得ている。

1996年には人気ユニット「サイケアウツ」にセキュリティーパフォーマー’ヘイターE’として加入。フジロックフェスティバル’99に出演した。

1999年、パーティー「AMEN BROTHER」を開催した事をきっかけに、UKの人気レーベル「JOKER Records」の所属となる。
その後は2STEPやGRIMEといったUK Garageにもアプローチし、ダンスフロアからナイトラウンジまでフィールドを拡大。

現在はベースミュージックの新たな在り方を提唱すべく、毎月最終金曜に大阪本町のcafe DECOにてレギュラーラウンジ「URBAN BASS LOUNGE」を開催中。


 

Q1.
DJを始められたのはいつ頃からですか?

1993年の暮れにDJの師匠となる人物に出会い、ターンテーブルやミキサーの使い方を教わりました。
ハードコアテクノ、ブレイクビーツテクノの旧譜を集めたり、新譜のジャングルを毎週買い漁っていました。

Q2.
INDRAさんはJUNGLEやUKダンスミュージックを中心にプレイされていますが、元もとの音楽的なルーツを教えてください。

小学生の時にREBECCAを聞いて音楽が好きになりました。
中3の時にTECHNOTRONICの「pump up the jam」を聞いて自分はダンスミュージックが好きなのだとハッキリとわかりました。高校生の時は2UNLIMITEDやL.A STYLE等のハードコアテクノ、XL Recordings のブレイクビーツテクノが好きで、中でもPRODIGYの1st アルバムは毎日聞いていました。

同時にダンスホールレゲエも大好きで、Ninjaman、Buju、Cutty Ranks等をよく聞いていました。

Q3.
「INDRA」というDJネームになったのはいつからでしょうか?名前の由来は?

94年の8月に京都mushroomで行われた、「MASHIN FREEK SHOW」というイベントに出た時からのDJネームです。
インド神話の雷の神様で、英雄の神様だという事でお名前を拝借しました。今思えば恐れ多い事です。

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Q4.
始めてJUNGLEに出会ったのはいつですか?JUNGLEのどんな所に魅力を感じましたか?

92年に、ラジオ・FM802のBEATWAVE001という土曜の深夜番組の中で、RAVE-MIX from LONDONというコーナーがありました。
毎週、FABIO、GROOVERIDER、MICKY FINN、J.J.FROSTといったDJが、20分間程、当時初期のbreakbeats technoをプレイしていたのを聞いたのが出会いです。

当時のダンスミュージックとしてはBPM的に異様に速く聞こえましたし、謎のアンダーグラウンドな危ない雰囲気を感じて夢中になりました。

Q5.
JUNGLE系のDJで影響を受けた、もしくはお気に入りのDJは誰ですか?

DJを始めた頃の仲間の一人にDJスワニヤポンという女性DJがいました。激しいアーメンもののジャングルにNurse With Wound のノイズをかぶせたりするプレイスタイルに憧れました。

UKのDJでは、DJ RAP、DJ HYPE、KENNY KENがお気に入りです。

Q6.
90年代の日本ではJUNGLEはどんな風に紹介されていましたか?現場でJUNGELをプレイしていたDJは多かったのでしょうか?

95年までは世間からは殆ど無視されていました。クラブミュージックの専門誌にも情報は皆無で、当時はネットもなかったので本当に謎の音楽でした。

それでも93年には京都mushroomで「CLOCKWORK FUTURE」という、BREAKBEATS、HARDCORE、JUNGLEが一晩中かかるパーティーが月イチ、レギュラーで開催されていました。
DJ OVERLAPというイギリス人がいて、彼を中心にHAYATO、NOODLE、MUMUの4人がDARK PULSEというチームを組んで、初期のJUNGLEをプレイしていました。彼らは先駆け中の先駆けだったと思います。同じ頃、東京ではDJ ForceとDJ EvilがJUNGLEをプレイしていました。僕が2人とリンクできたのは95年になってからでした。
当時はHARDCORE、JUNGLEと言うと、ガキが聞いている浅はかな音楽というイメージだったので、プレイするDJは少数派でした。

日本に入ってくるJUNGLEのレコードも少なかったのですが、1タイトル1枚しか入ってこないレコードを数少ないDJ同士で奪い合っていました。笑
最初はCISCOやWAVEにもあまり入荷しなかったので、SOLEILやBAOBABにお願いして入れてもらっていました。イギリスでは大ヒット曲だったSHY FXのOriginal Nuttahは、沢山プレスされていたせいか大量に入荷されて、逆にいつまでも棚に残っていたという事もありました。

95年になると状況が一変して、音楽雑誌でも「JUNGLEとは!?」みたいな特集が組まれるようになりました。世間の評価も掌を返して、JUNGLEをプレイしていてもガキんちょ扱いをしないようになってきました。最新のダンスミュージックとして認知されるようになったと思います。
96年から僕はSOLEILで働き始めたのですが、その頃にはJUNGLEのレコードの入荷量も安定するようになり、アンダーグラウンドなアーメン連打系の曲の売れ行きも好調でした。
JUNGLEをプレイするDJも増えてきてシーンの基礎ができていったと思います。Drum n’ Bassという呼び方もこの時期に定着しました。東京でDrum n’ Bass sessionsが始まり、イギリスからアーティストが毎月のように来日するようになり、シーンが盛り上がってきたのもこの頃です。

Q7.
INDRAさんの最もお気に入りのJUNGLEチューンは?

Production Houseから出た、DJ NUT NUTの「THE RUMBLE (MAD RAGGA JOHN remix)」94年の作品です。

Q8.
INDRAさんはサイケアウツにも参加されていましたが、どういった経緯でサイケアウツに参加されていたのでしょうか?

サイケアウツの大橋アキラさんとは94年にmushroomで出会って仲良くしてもらっていました。
そんな中、ある日赤城エンタープライズさんからPUBLIC ENEMYのビデオを借りて見た事がきっかけです。「カッコイイ!このS1Wみたいなのを俺らもやろう!」ってところから後の「ヘイターE」が生まれた訳です。笑

Q9.
ヘイターEとしては何年位活動されていたのでしょうか?INDRAさんが参加されたサイケアウツのライブで最も思い出に残っているのは?

3年間程活動しました。
同志社大学の学園祭でのライブが一番印象に残っています。ステージ両側にちょっとした張り出しがあって、ヘイターEの立ち位置がバッチリと決まったライブでした。

Q10.
INDRAさんはJOKER Recordsのメンバーでもあるそうですが、JOKER Recordsにはどういった経緯で参加されたのでしょうか?

99年に、スダレヤという仲間の一人がJOKER のホームページを発見してBizzy Bに僕の情報をメールした事が始まりです。当時ネットはまだまだ普及していなかったので、アーティストと直接連絡が取れるという事に驚きました。
後日、Bizzy Bから自宅に突然FAXが届きました。日本でDJしたいとの旨が書かれていたのでclub KARMAに相談したところ、Bizzy BとPUGWASHの2人を呼ぼうという事になり、パーティー「AMEN BROTHER」が開催されました。

その日のサイケアウツのライブの時に、サイケアウツのアーメンを聞いた2人が目を合わせて、「マジかっ!?」という表情をしていたのが印象に残っています。Bizzy Bが「same vibes!」と言って驚いていました。
2人がイギリスへ帰国した後、JOKERのホームページを見たら、所属DJのところに僕の名前があり、「one of best drum n’ bass DJ in Japan , JOKER OSAKA」と紹介されていました。

その後、「メキシコでJOKERナイトをやるから一緒に行くぞ!」と誘ってもらったのですが、こちらの都合でそのツアーには参加できませんでした。

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Q11.
現在のJUNGLEのニュアンスは90年代のJUNGLEと違って、ラガドラムンなどをJUNGLEと認識される事も多いかと思いますが、INDRAさんはそういった現代のJUNGLEに関してはどう思われていますか?
また、Footwork Jungleや140BPM前後のSlow Jungleなどの新しいスタイルに関しては興味はありますか?

ジャングル創成期のイギリスでもラガジャングル=ジャングル、という認識のされ方がありました。
その認識に対し「それは違う。ジャングルは360度のアプローチができて、いろんな音楽の要素を取り込んで進化させる事ができる……」というメッセージを当時多くのアーティストやDJが言っていました。

ラガに限らず、ドラムンベースそのものが「現代のJUNGLE」に当てはまるものだと思っています。
Footwork Jungleは結構好きです。JUNGLEとは別物だという認識ではありますが、Footwork JungleのいいDJがいたら、90分一本勝負でフロアでガッツリ踊ってみたいです。

Q12.
JUNGLEからDrum n’ Bassへの流れを当時リアルタイムで見ていてどう感じていましたか?

Drum n’ Bassと呼ばれだした96年あたりから曲作りの方法も洗練されていって、JUNGLEと呼ばれていた時代の粗削りなカッコよさが失われていきました。
ゴリゴリのAMENチューンのリリースが少なくなっていき、残念に思っていました。進化する事を是とするシーンなので仕方のない事だとは思いますが。

Q13.
現在のダンスミュージックの中で興味のあるジャンルは?

UKガラージ、グライムが好きです。DJ EZ、Marcus NastyのDJが大好物です。
ダンスホールレゲエも好きです。

Q14.
DJをする際に最も気をつけていることはなんでしょうか?

一晩を通してのTPO、自分の役割として相応しい選曲に気をつけています。
僕はアーティストではなくDJなので、自分の世界観の主張をするよりも、お客さんに楽しんでもらえる選曲を第一としています。

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Q15.
今年4月に「ジャングルハイスクール」という開講イベントをされていましたが、どんな内容だったんでしょうか?

ジャングル/ドラムンベースのレコードマニア、DJ 101によるジャングルヒストリーの解説が主な内容でした。会場はカフェで、お茶をしながらの授業という形態でした。16名もの人が受講してくれて、質問も多くいただき盛況でした。

僕は林修先生のモノマネに挑戦したのですが、スベってしまいました。笑

Q16.
関西のクラブシーンは数年前までハードな状況が続いていましたが、現状の状況は?

現在ではクラブの経営者が突然逮捕されるような事はなくなりました。
風営法が整備され、経営者にとっては厳しい条件の部分もあるかとは思いますが、お客さんが楽しむ為の環境は良くなっていってると思います。

Q17.
INDRAさんにとってJungleの魅力とは?

この音楽に参加している人の総称としてJUNGLISTという言葉がありますが、この言葉には何か誇りのようなものを感じています。
世間の評価にブレたりせず、自分達の好きな音を信じて進んでいく強さ、信念が音に表れているところがJUNGLEの魅力だと思います。

Q18.
今後の予定を教えてください。

大阪本町のカフェDECOで毎月やっているURBAN BASS LOUNGEを続けていきます。
これからもより多くの人にJUNGLEを聞いてもらうために、また昔のJUNGLEを知らない若いジャングリストのためにもJUNGLEのレコードはプレイし続けていきたいと思っています。
オファーを頂ける間は全力で頑張っていきたいです。

インタビュー/文:GHz Staff
※このインタビューは2016年8月9日に行われました。