Breakcore Interview Vol.3 – Duran Duran Duran

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『ブレイクコア・ガイドブック』と『Soundtrack for Breakcore Guidebook』の発売を記念して去年からGHz Blogで公開して来たブレイクコア特集も今回でラスト!
最後の企画は、2000年代にCock Rock DiscoやPeace Off、Planet-Muといった名門レーベルからダンサブルなブレイクコアのクラシックをリリースしていた「Duran Duran Duran」の本邦初公開となるインタビュー!

本日、Duran Duran Duranも参加した『Soundtrack for Breakcore Guidebook』も発売されましたので、そちらも合わせて是非チェックを!


Duran Duran Duran
https://duranduranduran.bandcamp.com/music
フィラデルフィア出身で現在はベルリンを拠点に活動しているEd Flisが1999年にスタートさせたプロジェクト。元々はMichael ChaikenとTony Gaborとの3人組みとしてスタートしたが2002年頃からEd Flisのソロプロジェクトとなった。
テクノ、エレクトロ、マイアミベース、アシッド・テクノなどのダンスミュージックのフォーマットにハードコアやIDM、ブレイクコアを組み込んだダーティーでグルービーなダンストラックで人気を博している。

Duran Duran Duran(以降DDD)は2002年にリリースされたIrritantのコンピレーション『Henry Kissinger War Criminal』と『Welcome To My World』で頭角を現し、03年にEd Flis名義でSeppuku Fashionとのスプリットと、Duran Duran DuranとMagusでのスプリット・レコードをAdvanced Idea Mechanicsから発表。自身のWEBサイトで公開していたフリートラックでも話題を集めたDDDはアメリカでのライブを中心にヨーロッパや日本でのツアーを早い段階で経験。05年にCock Rock Discoから発表された1stアルバム『Very Pleasure』では、ユニークでダンサンブルな踊れるブレイクコアの楽曲と衝撃的なアートワークも手伝ってアンダーグラウンドなダンスミュージック・シーンを飛び越えて大きなインパクトを与えた。その後もMutant Sniper、Planet-Mu、Hirntrust Grind Mediaからのレコード・リリースやMochipet、Bong-Ra、Xanopticon、Otto Von Schirachのリミックス・ワークでもクオリティの高い作品を残していく。2010年に発表した2ndアルバム『Over Hard』はエレクトロやゲットーテック/マイアミベースの要素を強めたブーティーなトラックにハードコアとサイケデリックなIDMサウンドをミックスしたドラッギーなスタイルでDDDのダンサンブルなブレイクコアのフォーマットが最高潮へと達した傑作であった。

近年はXanopticonとのコラボレーションやTigerbeat6からのシングル『Rejectro EP』を得て2017年に3rdアルバム『Duran』をPower Vacuumから発表。テクノとエレクトロを軸にDDDらしいガバキックやエクスペリメンタルな要素も取り入れたクレイジーなダンスミュージック・スタイルを新たに開拓した。

Q.
あなたはフィラデルフィア出身なんですよね?

うん、フィラデルフィア北東部のフランクフォードという地域の出身だよ。

Q.
フィラデルフィアとはどんな場所ですか?

ヘロイン中毒者が多くてすごく脱工業化した所だ。「イレイザーヘッド」というフィラデルフィアを題材にした映画を見たことある?あの映画ではフィラデルフィアがかなり正確に描かれているよ。

Q.
ヘロインが蔓延しているのは何故だと思いますか?

ヘロインは強い中毒性があるのと、人は悲観的な現実からの逃避を必要としているから。

Q.
あなたはドラッグに対してどう思っていますか?

すごく重要なものだよ。

Q.
あなたの町にはどういった音楽シーンがありましたか?

音楽シーンはあったけれど、アンダーグラウンドな電子音楽ではなかった。町のクラブやバーは早い時間に閉まるから、夜中2時を過ぎるようなパーティーをしたいなら、どこか場所を探して違法でやるか、誰かの家の地下室でやるしかないんだ。

Q.
現在はベルリンに住まわれているんですか?そちらでの生活はいかがですか?

2008年にフィラデルフィアから移住してきた。フィラデルフィアでの生活よりずっといいよ。

Q.
あなたが幼少期に経験した事で、最も忘れられない出来事は?それはあなたの人生観にどのような影響を与えましたか?

小学生の時にウェッジー(下着をお尻に食い込ませるいたずら)をやられて、ケツの穴に食い込んだ下着を取り出そうと、誰にも気づかれないように指で下着を掘り出しながら、その場でぐるぐる回ったんだ。だけど、実は皆に見られていてからかわれたよ。それからすごく人目を気にするようになってしまった。

Q.
あなたが電子音楽に興味を持ったキッカケは?電子音楽のどういった部分に興味を持たれましたか?

電子音楽の意味が分かってないのだと思うけど、若い頃はインダストリアルをたくさん聴いていて、15歳の頃にAphex Twinなんかの音楽に興味を持つようになった。こういう言葉のない音楽が好きだったよ。言葉は僕が嫌いな人間を思い起こさせるからね。

Q.
音楽制作を始めたのはいつ頃からですか?当初使っていた機材は?

子供の頃に父親のコンピューターでWave Editor(波形編集ソフト)をいじって遊んでいたよ。本格的に音楽制作を始めたのは1996年頃で、ギターを弾くのとコンピューターでビートを作るのに夢中だった。最初に使ったのは、SoundEditという編集ソフトで、SoundForgeやBIAS Peakのようにトラックは1つしかないから曲作りには限界があった。その後は、Alberto Ricciが作ったSoundMakerというすごくいいソフトを使った。トラックが複数あるWave Editorだよ。僕のファーストアルバムには、このソフトで作った曲がたくさん収録されている。

Q.
あなたが最初に体験したRaveについて教えてください。

2001年にArcというニューヨークにあるクラブで初めてエクスタシーをやったんだ。そこでは、Richie Hawtinが11時間セットのプレイしていた。クラブはすごく良かったよ。アルコール類を売らないから、かなり遅くまで営業が許されていた。だから、皆ドラッグをやっていたよ。フィラデルフィアで、エクスペリメンタルなブレイクコアのパーティーをやったことはあったけれど、本格的な「Rave」体験はこれが初めてだった。それから数え切れないほどのRaveへ出かけたよ。

Q.
Duran Duran Duranがスタートしたのはいつからですか?名前の由来は?

Duran Duran Duranは元々3人で始めて、2001か2002年頃に名前を決めたと思う。思いついた中で一番おかしな名前だったけど、今ではちょっと後悔しているよ。

Q.
ブレイクコアの存在を始めて知った時を覚えていますか?

初めて存在を知った時は、ブレイクコアとは呼ばれていなかったと思う。デジタルハードコア、ハードステップ、ハードコアとかはあったけど、2000年頃までは誰も「ブレイクコア」とは呼んでいなかったよ。僕が初めて聴いた「ブレイクコア」の曲は、Alec Empireの「The Peak」だったと思う。

Q.
Abelcain、Bombardier、Enduser、Pale(Twenty Knives)、Doormouse、Baseck、Drop The Lime、Xanopticon、END.、Jason Forrest & Dev/Nullなど、アメリカには素晴らしいブレイクコア・アーティストが居ます。彼等の作品には共感されていましたか?

うん、彼等はみんな僕の友達でもあるし、ヨーロッパやアメリカで一緒にツアーをしたこともある。アメリカは大きな国だけど、僕らがやっている音楽のシーンは小さいから、みんなお互いに知っているしサポートし合っているんだ。特にDev/NullとXanopticonとは、同い年でフィラデルフィアから始まったもの同士、すごく仲が良かった。Jason Forrestは言うまでもなく特別な関係だよ。僕の曲を初めてリリースしてくれた最初の人だからね。色々世話になったし、彼がいなかったら僕らのほとんどはアメリカ国外でプレイしていなかったと思うよ。

Q.
Duran Duran Duranの1stアルバム『Very Pleasure』について。
このアルバムとジャケットのコンセプトとは?アルバムにはどういったリアクションが当時はありましたか?

アルバムタイトルは、実はUme(Murder Channel)からのメールから取ったんだよ。僕の来日について「Present pleasure, very pleasure」とコメントしていたのをタイトルにしたんだ。コンセプトがまとまっているかどうかは分からないけど、どちらかと言うと上手く合うと思った曲を集めたようなものだ。アルバムのアートワークはStunt Rockが手がけている。彼は僕をからかうつもりでやったんだと思うけど、僕のアルバムを分かりやすく表したカバーだし、たくさん売れたよ。

Q.
2004年に日本ツアーを行われましたが、その時の事を覚えていますか?日本の音楽や文化で何かお気に入りのものはありますか?

日本は驚くほど素晴らしい所だよ。出来たら1〜2年住んでもっと深く知りたいと思う。大島渚監督の「新宿泥棒日記」は僕の大好きな日本映画。それと、BABYMETALも大好きだよ。

Q.
以前、あなたはドイツの有名なクラブ「ベルグハイン」でプレイされていましたが、それはどういったパーティーだったのでしょうか?

ベルグハインでのギグは良かったよ。多分、今までプレイした中で一番完璧にチューニングされたサウンドシステムだった。でも残念なのは、自分では観衆が聴こえる音と同じように聴こえないことだね。

Q.
2000年から2000年中頃に掛けて、ブレイクコアはヨーロッパを中心にムーブメント化していました。何故、あの時期にブレイクコアは大きな注目を集めたのでしょうか?

当時、新しくて人の関心を引くようなものだったからだと思う。

Q.
ご自身の楽曲のアイディアやインスピレーションはどの様にして得ていますか?

音楽のインスピレーションは、自分の精神疾患から来ている。

Q.
楽曲制作のプロセスを教えてください。現在使用されている機材は?

ABLETON LiveとコントローラーPushで楽曲制作をしている。スピーカーはスタジオではDynaudio、自宅ではAlesisを使っているよ。ABLETON Liveでは主にアレンジメントビューを使っていて、サウンドの編集や切り取りをしている。

Q.
あなたのガバキックの使い方は非常にユニークで印象的です。ハードコア・テクノ的なスタイルの曲も作られていますが、ストレートな4×4ではなく、一風変わったハードコアを作られています。ストレートな4×4スタイルのハードコアやテクノについて、あなたはどう思っていますか?

4/4スタイルにはすごく関心があるけど、簡単でちょっと退屈だと思うこともある。一番簡単に作れるビートだから、4/4で曲作りをしたら「この曲にとって最高なビートを作れたか?」と常に考えて色々なリズムを試してみるんだ。僕は自分自身に挑戦するのが好きだからね。

Q.
メロディのセンスもとても素晴らしく、ダンストラックでありながらもしっかりと耳に残る曲を生み出されています。トラックとメロディの関係性についてはどう思われていますか?

ただ、ソフトウェアにノートを書いて、それをプレイするだけだよ。

Q.
ご自身の思想やメッセージなどは音楽に反映させていますか?それとも、そういった要素はあなたの音楽には不必要ですか?

反映させているけど、それが何かは秘密だよ。音楽にメッセージは必要ない、ただの感情である場合もある。

Q.
2017年にPower Vacuumからリリースしたアルバム『DURAN』について。
制作にはどれ位掛かりましたか?アルバムの中で特にお気に入りの曲は?

中にはかなり古い曲も入っている。最初のデモをPower Vacuumへ送ってから、実際にリリースされるまでのプロセスは約2年かかっているんだ。「Marathon Man」の制作にはけっこう時間がかかったよ。

Q.
Duran Duran Duranの作品にはセクシャルなイメージが頻繁に使われますが、何故こういった表現を選ばれるのでしょうか?

セックスは人間に対する神からのジョークだからだよ。

Q.
あなたは当初から自身の音楽を無償で公開しながらも、多くのレコードやCDといったフィジカルのリリースも続けられています。今後、フィジカル・リリースはどうなると思いますか?

僕は音楽は無償であるべきだと考えているけれど、本当に良い音楽をキュレートすることに多くの時間とお金を費やし、それを広めているレーベルやアーティスト集団をサポートしていくことも大事だと思っている。

Q.
あなたはベルリンの音楽シーンをどう感じています?アメリカの音楽シーンと最も違う部分とは?

電子音楽が好きならベルリンは最高な場所だと思う。毎晩驚くようなおもしろいことが起こっているから、ここに住めてすごくラッキーだと思う。アメリカのミュージックシーンは大抵ラップかロック志向が強いからね。

Q.
最近のお気に入りのレーベルやアーティストは?

24/7 lofi hip hop radio – beats to study/chill/relax (YouTube, Spotify)

Q.
今後の予定などがあれば教えてください。

このインタビューを終わらせること。

翻訳:Megumi