“GHz Interview29” Monolog

GHz Interview

ドラムンベース~メタル~ノイズ~ダブステップ~インダストリアル~スラッジ~ドローンを天才的な技術とストイックな姿勢でミックスさせたダークでヘヴィーウェイトな楽曲で耳の肥えたリスナーから絶賛され、同じく音楽シーンで活躍するアーティスト達から一目置かれる「Monolog」のインタビューを公開!

Murder Channelからリリースされたニューアルバム『Everything at Zero』も高評価を得たMonologが自身の音楽的ルーツや出身国であるデンマークのシーン、音楽制作などに関してディープに語ってくれました。
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What’s your favorite thing of all time? PT.36 by Monolog

Monolog
https://monolog.productions/
現在はベルリンを拠点に活動する電子音楽家Mads Lindgrenによるソロプロジェクト。出身であるデンマークにてメタルバンドのギタリストとして音楽活動を始め、90年代後半から電子音楽にフォーカスした活動も行う。2001年にMonolog名義にてデビューアルバム『Mumbler』をデンマークのTender Productionsから発表。以降もTender Productionsから数枚のEPとアルバムをリリースしていき、数年間の休止期間を得て2010年からMonologとしての活動を再開させ、Ad NoiseamやHymen Recordsといったレーベルからアルバムを発表。メタルとジャズ、そしてドラムンベースから強く影響を受けたタフなビートとインダストリアル、ドローン、アンビエントの手法を駆使した壮大なサウンドスケープを組み合わせた作品は様々なジャンルのリスナーから支持され、同業者達からも高い評価を受けている。また、リアルタイム性が非常に強いライブパフォーマンスでも人気があり、ヨーロッパのフェスティバルにも多数出演している。ジャズギタリストとしてフリージャズ・シーンでも活躍しており、Native InstrumentsやAbletonなどのソフトメーカーとも仕事をする技術者としての一面も持っている。


Q. ご出身はどちらですか?どういった環境で育たれましたか?

出身はデンマークで、現在はベルリンに住んでいる。僕が育ったのは自然がワイルドで美しいデンマークの西海岸、あそこは光と色がとてもユニークで、時々すごく寒くなる所だよ。ひっそりと孤独に暮らしてきたから「モノラル」だった。インターネットがない時代で、都会の集団から遠く離れた田舎で、Akaiサンプラーなんかの機材を覚え始めた。自然の中を長時間散歩しながら、サンプルのマッピングや、シンセをどうパッチしようかなんて考えていたのを覚えているよ。

Q.音楽に興味を持ったキッカケは?どういった作品に影響を受けていますか?

僕の父は常に音楽をかけて聴かせてくれたんだ。父は 70年代のテクニカル・フュージョン・ロックに夢中で、それには僕も大きな影響を受けたよ。だけど僕はハードな音へ方向転換して、最初に買ったレコードの中には多分、Metallicaの「And Justice For All」 (メタル・ジャスティス)、それと同じ頃にドヴォルザークの「交響曲第9番」や「スターバト・マーテル」もあったと思う、よく憶えてないけどね。基本的には何でも聴いてきたし、特定のジャンルだけには集中しなかった。あらゆるスタイルの音楽には、何かしらの提案や独自のパイオニアが存在すると思う。電子音楽では、偶然に見つけたColdcutの「What’s That Noise ?」が僕の人生を永遠に変えてしまったよ。基本的に僕の世界に欠かせない要素とは、メタルのエネルギー、クラシック音楽の心地良い組み合わせ、フュージョンとジャズの創造性、そして電子音楽とサンプリングのツールである。

家に小さい14インチのカラーテレビがあったのを覚えている。デンマークのテレビでは毎週金曜日は映画の日で、ある日ミルクとクッキーを食べながら、黒い画面を見ていたら、ゆっくりと白い線が現れ始めて、それが「ALIEN」(エイリアン)というタイトルになったんだ。僕の人生を永遠に変えた日だった。

Q.デンマークの音楽からは影響を受けていますか?デンマークの音楽の特徴的な所とは?

個人的に、デンマークのジャズ・アーティストを沢山フォローしているよ。 彼らはある種の闇と哀愁を持っているように見えて、僕は長年にわたって心から楽しんでいる。それに加えて、僕が聴いて新鮮だと感じる、調和から懸け離れた自由な精神をうまく取り入れているように見える。いくつか例を挙げると、Rune Funch、Jacob Bro、Hasse Poulsenは、僕にとって重要なギタリストだ。彼らのようなタイプのジャズの感覚をまとめるとしたら、いつもThomas Agergaard Quartetのアルバム「Testing 1-2-3-4」に戻ってくる、それとOnce around The Parkのレコードも集めたよ。

Q.Monologの音楽にはドラムンベースの要素が強く反映されていると思います。ドラムンベースとの出会いについて教えてください。

ドラムンベースとの最初の出会いは、1994年のRoskilde Festivalで、一瞬にして夢中になったよ。90年代後半から2000年前半は大学へ通っていて、勉強から離れて気晴らしをするために、ドラムンベースのレイブパーティーを始めたんだ。古いパンクのライブハウスで、サウンドシステムはパワフルだったよ。毎週ラジオショーもやっていて、僕はよりダークで攻撃的なヴァイナル(アナログ)ミックスをすることでよく知られていた。これはドイツへ移住する前のことだけど、大好きだったThe Green ManやSimon Vのドイツのシンセベースのアナログに、今でも目を光らせているよ。イギリスのプロデューサーが好む音とはかなり違って聴こえるよね。全てがKraftwerksのセットアップを盗んで、テンポを上げて、ディストーションをつけて、ファットなEQ処理をしたかのように聴こえる。

Q.あなたがティーンエージャーの時に体験した忘れられないライブやDJは?

絶対忘れられないのは、1994年だったと思う、Aphex Twinが「Richard D. James Album」(1996)をリリースした直後、彼のショーを見に行ったんだ。スピーカー4つを前後に置いた初めてのサラウンドコンサートで、「Bucephalus Bouncing Ball」がかかった時は、サウンドが自分の周りを跳ね回っているようで、音楽的な昏睡状態に陥ったようだったよ。同じ月に、Meshuggahを「Destroy Erase Improve」ツアーで見て、そしてまた同じ頃に、自分のメタルフュージョンのバンド(Wombat in Combat)のデモを作り終えた。この時期は、リスニングと制作の両方において最高だった10代の頃の思い出だよ。

Q.音楽制作を始められたのはいつからですか?当初はどういった音楽を作られていましたか?

前の質問で答えた通り、音楽的な最初のステップは、1990年から1995年頃まで活動したメタルフュージョンバンドで、当時デンマークのユトランド半島北部のシーンにぴったり合っていた。ステージを共有するバンドが沢山いて、大抵はメタルかハードロックだったけど、多感なティーンエイジャーがジャンル、スタイル、ミクスチャーに対して叩き合っていた。それから、メタルから少し離れ、ジャズギターを弾くために学校に通って、そこから大きな刺激を受けて家に帰ってきたものだった。ちょうどその頃は、 稼いで有名になるために、ユトランド半島北部から出て、コペンハーゲンに拠点を移すミュージシャンが多かったけれど、僕はそのまま留まって、バンドメンバーを電子機器に取り替えて音楽活動を始めた。それで1999年頃に、フュージョン、エレクトロニック、ジャズの分野で最初の曲を作ったんだ。

Q.その時のデンマークの音楽シーンの状況は?

僕には、90年代のアンダーグラウンドシーンで、 新しいクリエイティブなジャンルの融合が、全世界の音楽の発展につながったように見えた。1つのジャンルに従ったレコードはなく、ミクスチャーが多かった。それに、メタルにもおもしろい変化があった。これは当時のデンマークのシーンにも反映して、多くの選択肢ができたんだ。創造性や革新的な内容よりも、レコードの売り上げが重要な現代のジャンルへの不安からは懸け離れていると思うよ。

Q.Monologとしての活動をスタートさせたのはいつですか?

デビューは「Mumbler」をリリースした1999年頃で、ソロでエレクトロニックでの初の公式リリースになる。その前は、しばらくの間FastTracker 2をいじりまわしていたよ。それと、いくつかのバンドやミュージシャンの集まりなんかでギターを弾いていた。

Q.Monologの初期作品はTender Productionsからリリースされていましたが、当時はどういった音楽を作られていましたか?

最初に僕が育った環境について説明したけど、ユトランド半島北部の寒くて遠い田舎にいたから、どのシーンからも切り離されていた。デビューして初めてプロモーターから注目されて、いくつかのコンサートでプレイしたり、他のミュージシャンとのコラボレーションもするようになった。それと、斬新な楽器をプレイするノイズバンドとの仕事もしていたから、幅広く色々な音楽活動をしていた時期だったな。

Q. そこから、2010年までMonologとしての活動はストップされていましたが、その間は何をされていたのでしょうか?

2006〜2010年頃までリリースは休止していた。ベルリンで出会った素晴らしいミュージシャンの集まりとの即興ライブに、もっと重点を置いていたんだ。主にギターとラップトップで参加していた。当時はこういう活動をサポートするベニューがけっこうあったのに、徐々に減っていき、結局は僕らみたいなオタクに提供するのを止めてしまったんだ。その後は当然ながら、即興ライブからの経験を生かして曲作りを再開したよ。

Q. Dean Rodellのレーベル「Subtrakt」とはどういった形で出会いましたか?現在、あなたがレーベルを運営されていますが、何故レーベルを彼から引き継いだのですか?

Dean Rodellとは、彼が所有するベルリンにあるクラブSublandで出会った。僕をブッキングしてくれて、Swarm Intelligenceとの共同プロジェクト、Diasivaとしても何回かBurn The Machineフェスティバルでプレイしたんだ。彼と車をシェアして、Ad Noiseamのツアーでフランス中を乗り回して、時間を共にしているうちに仲良くなったよ。一緒に曲作りも始めて、Ad NoiseamとHymenから何曲かリリースもした。

音楽のシーンとその背後にあるビジネスもまた変わってしまい、DeanはレーベルとしてのSubtraktを続けたくなくなり、人生でもっと他のことに集中したくなったんだ。Subtraktには豪華なアーティストが揃っているし、エクスペリメンタルでハードエッジなリリースにとって常に画期的であった。Deanは僕がレーベルを引き継いでもいいし、そうじゃなければ閉鎖すると言ったんだ。レーベルが消滅するのを見るか、続行させるかという選択を迫られたのだけど、引き継ぐことを選択して、2015年以来レーベルを率いている。このレーベルを通じて、世界に知らせたい素晴らしい音楽を作るアーティストとたくさん繋がったよ。それを伝える役目を果たしていることを嬉しく思う。


Q. ここ数年、MonologとしてFuckparadeに出演されていますが、Fuckparadeに出演する事になった経緯を教えてください

ベルリンのハード・エレクトロニックのシーンは、かなり絆の固い家族のようなもので、アーティストが存続するためにお互いに助け合っている。Fuckparadeでプレイするのもこういったサポートの1つだよ。Fuckparadeはイベントをやるグループやクラブがトラックを出して参加する。さっき話したSublandクラブも数年トラックを出していて、僕も何回か声をかけられてプレイできて嬉しかったよ。

Q. Fuckparadeは今もハードコア・テクノやスピードコアをメインにしているのでしょうか?政治的な姿勢はまだパレードに込められていますか?

Fuckparadeでは全ての音楽ジャンルの中でも、取りわけハードなものが多くて、トラックごとにジャンルやアーティストのタイプも異なるが、あらゆるジャンルやレーベルが参加していると言える。
パレード自体かなり政治的声明が強く、人種差別や性差別への反対、国境の開放や偏見をなくすことを支持している。こういったイベントに対して寛容な枠組みがあり、大勢の人がベルリンのストリートで、人種差別のようなトラブルを許容しないと伝えていくことはとても重要だ。

Q. 現在使用している機材を教えてください

Ableton LiveとDynaudio DBM50スピーカーに接続したRMEを使っている。どの機材を使うかにこだわりはないし、創造性に値段や忠誠心はどうでもいいことだからね。シンセのコレクションが多過ぎて、ここでは語り尽くせないけれど、お気に入りは1977年のKorg DV-800。それをアンプシミュレーターで処理するのが大好きだった。現在はUADのDiezelエミュレーターを使っている。紙やすりをかけるような音のディストーションが作れるし、Monolog風ベースもあるよ。

Q. Monologの楽曲に使われているギターはあなたが弾いているのですか?

そう、たくさん弾いてるよ。ギターにMIDIインターフェースもあるから、時々MIDIシグナルだけを使ってシンセサウンドをプレイすることもある。

Q. Monologの音楽はとても空気感があり、奥行きがあります。こういった音作りはどうやって行われているのでしょうか?

サウンドをミックスしながら作業することが多い。各サウンドのパンとEQ設定、それとリバーブのような奥行きのあるエフェクトを考慮する必要がある。こうすることで、全てのサウンドが独自の空間とアイデンティティを持つようになる。最近は、一定の空間のインパルスを録音して、そのサウンドをレンダリングすることが出来るコンボリューションを使った作業をすることも多いよ。例えば、口の中でインパルスを録音してから、そのインパルスでベースサウンドをレンダリングすると、口の中で再生したように聴こえる。このために、フィールド・レコーディングの大規模なコレクションを使っているよ。

Q. あなたのパーソナルな部分はどれ位、Monologの作品に反映されていますか?思想やメッセージなどは音楽に込められていますか?

僕自身と僕が信じているものの全ては、作っている音楽に反映されているよ。これは声明としてはリスナーには見えないだろう。だけど、リスナーは音楽の背後にある思想を感じ取ることができると思う。僕の意見では、音楽で何も伝えるものがないなら、黙っていればいい。聞かれたら、自分の音楽にも書いているような、たくさんの政治的な信念を共有する。例えば、環境の崩壊、政治面での愚行の侵害、我々の魂の宗教的見解による腐敗度など、無視していられない問題が山ほどあるんだ。社会を反映する方法として、アートは説明されるべきものだと成長してきた。

ただし、自分の意見を他人に押し付けたくないから、曲のタイトルを通して、考えや感じたものをほのめかす傾向がある。

Q. あなたはダンスミュージックと非ダンスミュージック的な音楽(アンビエントやドローンなど)を同時に作っています。その二つの音楽を作る時に意識はどう変化しますか?

まだ手をつけていないプロジェクトと共に腰を下ろし、犬が何も考えずに野原を駆け回るように、曲を書いて組み立てていく。座っている時、サウンドがどう聞こえるべきかの観点から言うと、偏見は持っていない。座っている時は、感情しか持っていない。つまり、自分の感情の中で和音を奏でるように、音楽自体が曲を作り始めて、それに僕が少し理知的なコントロールをするだけだ。

だから座って、パーティーで盛り上がるような曲を作ろうとか、アンビエントを作ってみようとは考えない。感情はスタイルやジャンルには無関心だから、道を広く、できるだけ障害物を少なくして開けておく必要がある。こうしてたくさんの形式やジャンルを見つけることが出来る。

Q.『Everything at Zero』にはどういったコンセプトはありますか?製作期間はどれ位かかりましたか?

『Everything at Zero』の曲作りは難しかったよ。人類が全てにおいて、史上最低に達していることに腹を立てていたんだ。我々の愛という概念は、スマホ上でセックスの相手を探すアプリに、さっと目を通すだけのものに低下してしまい、真実の概念は、大学や政治家によって教えられる嘘で変わってしまった。健康への概念は、我々を病気にしておく為の、エリート主義による遺伝子組み換えの食品や、特許を取得した医薬品の消費によって落ちぶれてしまい、信念の概念は、クソな指導者らが敵を非難すると、何の疑問もなく戦争に行くというものに低下してしまった。我々は多くの動物を無駄に、また過剰に消費している中で溺れかけている。長い間腹を立てていることは辛いけれど、そうする必要があった。人類はこのテーマについて、じっくり検討して改善しなければならない。
愛を感じ、開眼を感じ、健康だと感じる、また他の人や生き物への思いやり、宗教ではない信念を持つ。これは、人類がその意味を忘れてしまい、報酬のために犠牲にしてきた基本的な人権だ。『Everything at Zero』にはこういったメッセージがあるんだ。完成して満足しているよ。だから今は、人類にいくつかの警告を発信したことを知って先に進むことができる。

Q. Monologの音楽はインダストリアルやドラムンベース、スラッジやテクノイズといったジャンルのファンも楽しめると思います。もし、Monologの音楽を何かしらの言葉やジャンルとして説明しなくてはいけない場合、どういった風に伝えますか?

実際、リリース後はほとんど関与することはない。ジャンル分けもどうでもいいと思っているし、大抵はリスナーやジャーナリストに任せているよ。
僕はリスナーがどう感じるかがとても大事だと思う。怒りを感じて暴動を起こしたいと思ったら完璧だ、僕はそう感じて欲しかった。聴いている時に自分の上に壁が崩れ落ちるようで、恐怖に打ちのめされてしまったら、まさにそれは僕が感じた恐怖と儚さである。もし安心でき、強く、誇りに感じたら最高だ、それは僕がリスナーに与えたかった強さなんだ。こういったことからも、ジャンルを1つに決めつけるべきではないと思っている。

Q. あなたが現在活動の拠点にしているドイツには長い電子音楽の歴史があります。ドイツの電子音楽を現地でどう感じていますか?また、テクノに対してはどう思われていますか?

刺激的なドイツの電子音楽といえば、Einstürzende Neubautenや、もっとアコースティック志向なFaustのようなバンドだ。その前は、1930年代の大学の知的な作曲家たちなど。1980年代のダークウェーブも大好きで、僕が好きなタイプのダークで単調なテクノに近いと思う。僕の妻Liza Aikinと出会うまで、テクノに関しては、サウンドデザインとコンポジットが好きだったこと以外、はっきりとした意見はなかった。僕にはちょっと遅すぎるんだよ。彼女はテクノのジャンルや、僕が知らなかった音楽の新しい側面についてもよく教えてくれた。ベルリンでパーティーへ出かけて、ラウドスピーカーの重厚さを自分の上で転がすように楽しんでいる。テクノのありがたみがよく分かるよ。

Q. あなたが今までに経験した中で最もクレイジーな音楽体験は何ですか?

スウェーデンの廃鉄鉱山で行われるNorbergfestivalで聴いたPan Sonic。ドラッグでハイになった連中が、深さ300メートルのドリルシャフトにぶら下がったりしてたよ。誰も死ななかったけどね。

Q. あなたがMonologの活動で得た物とは何でしょうか?

Peace.
こうした自分を表現する方法があるから、自分自身や自分が支持する全てのことにバランスが取れているんだ。

Q. 現在、コロナの影響で非常に厳しい状態が続いていますが、音楽家はこの状況で何が出来ると思いますか?

ミュージシャンとしてなくなった収入のことを考えるよりも、多分逆の方向について考えてみる。ワクチン研究、ロックダウンの間ホームレスに避難所を提供する、必要な医療機器の製造への寄付をしながら、どうリリースができるだろうかを考える。

Q. 今後のスケジュールを教えてください

先のことにはめったに計画は立てないんだ。大抵は直感に従って、ありのままに生活を送る。生きるのは未来でもなく、過去にでもない。1つだけ計画があるんだけど、君たちもその一部だよ。現在、新しいバラードのEPを制作中で、Subtraktからリリースする可能性が高いだろう。もっとアコースティックになると思うよ。

翻訳:Megumi