リフレッシュ・ユア・ブレイン 〜Rephlexというレーベルがあった〜

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アシッドテクノ、エレクトロ、ドリルンベース、エレクトロニカ、そして、ブレインダンスといったジャンルを語る上で外せない最重要レーベル「Rephlex」の歴史を振り返る特集記事を公開!

Rephlexはレーベル・オーナーのAphex Twinを筆頭にµ-Ziq、Squarepusher、D’Arcangelo、The Kosmik Kommando(Mike Dred)、Drexciya、Cylob、Seefeelといったエレクトロニック・ミュージックシーンを代表するアーティスト達の名作を多数発表したレーベルであり、実験的な物からダンスフロア向けの物まで多種多様なスタイルの作品リリースで日本でもカルト的な人気を得ていた伝説的なレーベルです。

現在、世界的に盛り上がっているアナログシンセのムーブメントであったり、ヒプナゴジック・ポップ、宅録系チルウェーブやアシッド/インダストリアル・リヴァイバルを追っているリスナーにもRephlexが残してきた作品は確実に突き刺さるでしょう。
この機会に是非Rephlexがリリースしてきた作品に耳を傾けてみてください。

今回の記事は過去にRephlexのイベントをオーガナイズされた電子音楽家のGeodezik氏がRephlexへの愛を込めて執筆してくださりました!全電子音楽好き必読の内容です!


 

Aphex Twin がWARPから2014に前作「ドラッグス」(モロなタイトルで笑える!)から実に13年振りにフル・アルバム「サイロ」をリリース!

WARPからは6作目のアルバムとなる。

その後も翌年にComputer Controlled Acoustic Instruments Pt2 (EP)Orphaned Deejay Selek 2006-08、いずれもEP。内容の善し悪しは置いといて、そして16年、Cheetah EPをリリース。

「サイロ」以降の作品はハードウェアの多用が目立ち、何でも畳一枚位のデカさもある鉄板を使用したリヴァーブも使ったという。う~む彼らしい。

そこで、我々は重要なナニかを忘れてはいないか?という問題にブチ当たる。

そう、Rephlexだ!

90年代前半は、ジェフ・ミルズを代表とする「一億総ミニマルブーム」で、ストイックでモノトーンな世界感で統一されていた。
確かに、何層にもレイヤーされたキックと、ヒプノティックなフレーズはデカ箱で浴びると方向感覚がオカしくなり、楽しかった。

しかし、狂乱の夜が明けて、さあ何か作るぞ!という気にはならなかった。

ブレイクビーツや、打ち込みのエレクトロのパターン、8ビートではないとグっと来なかったというのもある。
そういった背景もあり、ミニマルからは遠ざかり、ナニかないかな?と中古屋、レコ屋を巡る日々が続いた。

そして時は来た。

異常にS/N比が悪く、不気味なシンセの上モノに、インダストリアルなビートが被さるという実にハートにズキュンなブツがレコ屋で鳴り響いていた。
あんちゃんに「これなんスか?」と訊ねるも奪う様に素っ気ないスリーブの12″をゲトった。

それが私とAphex Twinの初めての出会いだ。

件のブツは正確にはAphexではなく、Caustic Window名義で、確かレターケースの12″サイズのもので、中にはパチパチキャンディーがオマケで入っていた。危なっかしくて食えない!食った人の感想をきいてみたい。

Caustic Window – Joyrex J4

とにかく、最高の時代の幕開けだと。スロッビング・グリッスル、キャバレー・ヴォルテール、コイル、FRONT242がクラブ・ミュージックになった様だ!と狂喜乱舞した憶えも生々しい。

しかし、Rephlexにヤラれた奴はなにも私だけではなく、鬼気迫る目つきで生産数の少ない12″を狙う奴も多くなった。

ラッキーなヤツはこんなもんもゲトっていた。

Caustic Window – Popcorn

ロシア民謡的な古典電子音楽、「ポップコーン」に無理矢理高速ブレイクビーツを被せているだけ!アイディア一発で、ここまでブっかませるのは、Aphex Twin、ヤツだけだった。

と、まずは落ち着こう。

Aphex Twinをリリースしているのは”Rephlex”というレーベルで、他のライジング・ハイや、R&S、XLといったレーベルよか予算低めで、リリース数も少なく、ジャケなんてあった方がラッキーだと。

そして何よりも、大手(?)よりも粗暴で、何でもアリなところが大きな差だ。

もちろん、The Prodigyも大好きだし、ハードフロアも大好物。

Rephlexは現在は残念ながら倒産してしまったが、国内外で未だにファンが多いのは容易に想像がつく。ウワモノがメロディアスで、リズムがディストーションかかったインダストリアルというスタイルを世に拡散した、という功績は讃えるしかない。
他に重要なポイントとして、インストでテクノのアルバムといえば「踊らせなくてはいけない」というクリエイターの悩みをガラっと変えたところであろう。

そう、「ブレイン・ダンス」である。テクノを「鑑賞」しても良い!という概念をリフレックスは作り上げたのである。
これに救われたクリエイター/リスナーは恐らく天文学的な数字と思われる。

1991年、Aphex Twinと、その友達グラントで始まった。
一発目のリリースはBradley Strider “Bradley’s Beat“で、Aphex Twinの変名。不気味で少しファニーなハウスだ。

始まりがあるのだから、終わりがある。当然だ。

07年 Bogdan Raczynski “Alright!
ボグダンのインパクトは相当なモノがあり、1st,2ndはブレイクコアをバックに女にフラれた事をいつまでもタラタラと自身で歌う!というスタイル。電子チンピラ集団、Rephlexの中でもイキ過ぎなキャラだった。

実に16年という長いのか短いのかよく分からない歴史でRephlexは幕を閉じた。

Rephlexに思い入れのある人間は未だに多く、その大きな理由として、「別にテクノだからって踊らせなくてはいけない」という理念があったのがデカい。

だから、Lektrogirlなんかリリースできたんじゃないだろうか?

Lektrogirl – No Rap No Rock

これじゃまるでカシオトーンの多重録音だよ!グライムスや、ローレル・ヘイローに先駆ける事20年の宅録女子という見方も出来るが、なかなかカマしてくれている。

いきなりラウンジに興味を持ち、The Gentle People なんて奴らもデビューさせた。

The Gentle People – Emotion Heater

ステレオラブやセント・エティエンヌに触発されたところもあったのだろうか。ともあれ、リーダーは相当のレコードマニアで特にライブラリ・レコードの収集には熱を上げていたそうだ。極上のトリップサウンドで今でも全然イケる。正直なところ、「完成度」という点では決して高くはなかったRephlexであったが(そこも含めてファンが多いのも事実なのだ)彼らは抜群のメロディーセンスと、何と言ってもミキシング・ワークが素晴らしかった!(ベースがデカ目だが!)

思うに、Rephlexの精神的支柱になっていたのはCylobだったのではないだろうか?

96年に「サイロビアン・サンセット」でアルバム・デビュー。
名曲”Diof”を含む、純粋なアルバムの中では一番ファンが多いのではないだろうか。
ちゃっかり、ソニーから日本盤も出ている。ライナーノーツの故ねこぢる氏のイラストが泣かせる。

そして、必殺のロボ声EP “Rewind!”(98年)、 DMX KREWも真っ青な80’sソング “Living in the 1980’s” (99年)
ダメ押しのロボ声グライム(今聴くと、そう感じるのだ)”Cut The Midrange Drop The Bass” (01年))、 この流れですよ?2ndはかなりポップでキャッチーなブツをブッ込んでくるに違いないと世界中の多くのリフレファンはそう思ったに違いない!

しかし…

これモンですよ

Cylob – Majorette

アルバム・タイトルは “Mood Bells” ここまではイイ。しかしムードも欠片も無いFM音源でひったすらにリンゴ~ンと鳴ってるだけ。チル・アウト作品として今では聴けなくもないが、当時は「私の涙を返して下さい!」という怒りで一杯であった。

さすがヒネクレ者大国イギリスである。逆にここまでヤってくれると清々しいネ!と2000円払った自分を慰めるしかない。

Rephlexの経営が危うくなってきたところ、Cylobちゃんは、「サイロブ・インダストリーズ」というレーベルを勝手に立ち上げ、難解なソフトウェア「スーパーコライダー」を駆使したアシッディーなシングルを連発、そしてライブやDJ活動に精を出していた。

Cylob – Pepper Spray

この曲の路線でアルバムを出していれさえすれば…。

残念ながら、サイロブこと、クリス・ジェフズが今ナニをしているのかは不明だ。

しかし、Rephlexという世界でも偏屈で、愉快で何よりも「次は一体何を企んでいるんだろう?」とリスナーをワクワクさせたレーベルで、サウンドの方向性やイメージを固めたのは彼に違いない。

これは1stの中でも最も興味深い一曲だ。Cylobに関してはこれで〆よう。キリがない。

Cylob – Instant Shrink

どこまでも優しいメロディーと音色。そしてヤり過ぎではないインダストリアルなビートの奇跡的な融合だ。

マーヴェラス!

そして、いまやPlanet-mu主宰でブイブイいわせているμ-ziq。

フェイスブックのやりとりで、グラントと軽くお喋りをしたのだが、「俺のRephlexのリリースで一番好きなのはμ-ziqの1stしかも、後に出た2枚組のなんだが、キミ(グラント)のは?」

と訊ねたところ、「俺はスクエア・プッシャーの1stだ」との事であった。

すっかり忘れていた!プッシャーの1stはWARPではなかったのだ!

そもそもμ-ziqの存在を知ったのはエレキングで、ケン・イシイがその年のベストに挙げていたのがキッカケ。

あのテクノゴッドが何故に?と思い、即購入し、CDプレイヤーのプレイボタンを押したところ(ここは誰もがワクワクする瞬間だよね!)「す、スゲエ…。チョーメロディアスで、リズムが思いっきり歪んでいるのにメチャ爽やか!しかもしっとりした曲(例えばバーント・シエンナ)も良い!コイツはバケモンだ!」と当時かなり興奮した憶えは未だに忘れられない。

そして彼は4thアルバム「ルナティック・ハーネス」でそのキャリアを不動のモノとする。

ブレイクコア(?)に甘~いメロという現在では廃れた感もあるスタイルだが、そんな事は関係なく、このアルバムは名曲揃いで、いつの時代でも通用する最強盤である。

Aphex Twin で例えるならば” I care because you do “に位置するのではなかろうか?

μ-ziqをまだ聴いた事のない方は、是非とも1st「タンゴン・ヴェクティフ」と4th「ルナティック・ハーネス」は体験して頂きたく強く思う。

中古で見つけたら即、レジへ直行してもらいたい。

そして、重要なブツを忘れていた。95年リリースのLeo Anibaldi “Void“だ。
彼はシカゴのROBERT ARMANIがヨーロッパの拠点にしていたACVからリリースを重ねていたところから、てっきりシカゴ・ハウスの人だとばかり思っていたのだが、イタリアの72年産まれの実験的アプローチのコンポーザー/DJであった。
どの様な経緯でリフレックスからリリースされたのかは知る由もないが、インダストリアルでノイジーな作風からバッチリな要素が詰め込まれており、しかも音像がクリアで…。Cylobからフェミニンなメロを抜いたサウンドと言えばよいだろうか。
デムダイク・ステア、アンディー・ストットといった現在モテモテなアーティトが好きならば、是非とも聞いて貰いたいひと品である。
ただし!ジャケで損しているのは否めない。

マイク・パラディナスが語ったのを今でも憶えている。「リフレックスとはアシッドの果てしない追求をしていたレーベル」だと。

アシッド=Moog,TB303では無いと、熱心なファンは分かっていると私は信じたい。

つまり、その曲の持つアトモスフィアがアシッドなのである。

・復刻の鬼

①まず、全世界の誰もが待っていた808ステイトの「ニュービルド」が挙げられる。ア・ガイ・コールド・ジェラルド在籍時の唯一のアルバムで、アナログは中古でも高値でしかもターンテーブルを持っていない者はどうすりゃイイんだというブツなのだが、やってくれた。これには感謝しかない。

この後にボツテイク集「プレビルド」、ZTTから「90」とほぼ同時期にCreed Recordsからリリースされた「クアドラステイト」も復刻。一曲目の「パシフィック・ステイト」は無数のヴァージョンの中でもこれがベスト。

②Criminal Minds : T.C.M.

誰だよというのが素直なところであった。しかもこれまたジャケ損をおこしているのだが、英国産のヒップホップでスターウォーズやらデュラン・デュランなど、大ネタ遣いで笑わせてくれるが、ボム・ザ・ベース以外で80年代にこんなヤツ等がいたのか!と驚いた。しかもグライム~ロードラップとして今でもDJプレイに使える。フロウダン、ワイリー辺りのベテランは絶対に聞いていたに違いない。 アツ過ぎ、パーティー仕様!踊らにゃ損!

③soundmurder & SK-1

違法RAVE=ジャングルもしくはガバなんだなと再認識させられる。イントロでタメにタメて、高速ブレイクビーツがブっ込まれる瞬間の快感といったらもう…
ちなみにSK-1は安定のベース・ミュージック・コンポーザー、ダブリーであった!とにもかくにも根っ子に「ジャングル」があるのである。誰にでも。それをジャズや実験的な電子音楽の要素をミックスさせ、分かり易くアップデートさせたのが、スクエアプッシャーだと思うと、グラントのお気に入りであるのが納得がいく。

④Baby Ford : Normal

T-レックスの「チルドレン・オブ・ザ・レヴォリューション」をユーロビート化させた人としか知らなかったのであるが、実はダメ絶対方面のミニマル・アシッド・メーカーでしかも未だに現役。長生きしてね! AFXの実に活き活きとしたリミックスを。とことんヒネクレたアシッド・ブレイクビーツに仕立てあげている。本当にリチャードさんはACIDとブレイクビーツを絡ませるのが上手いですね。

・最後(?)のメロディアス・ブレイクコアwisp
真偽の程は定かではないが、普段はナイアガラの滝の警備員をしているというオイシイwisp。
ブレコア専門レーベル” Sublight “からのリリースを2発し、見事Rephlexから”The Shimmering Hour ”を09年に。
同じ年に ” We miss you “というアルバムを、リリースしているとデータベースにはあるが、見た事はなく、結局1枚しか確認は出来ていない。
この人の泣きメロは、ハッキリとしたサビはないのだが、ヴォコーダー等を用いてなかなか見事である。” Sublight “しかり、「ブレイクコア」がフィジカルで買えなくなるのは少し寂しい。

・変名大好きAphex Twin

とにかく、何の意味があるのかが不明なのだが、この人は名義をコロコロ変える癖がある。Blue Calx,The Dice man,Bradley Strider,Q-Chastic, Power-Pill, Soit- P.P. , Smojphace (この名義の曲はメルツバウみたいで凄かった!)等々…枚挙にいとまが無い。そしてThe Tussだ。

07年にRushup Edge(アルバム)をリリース。同年にシングルConfederation Trough EP 。この二枚だけなのだが、当時は「本当にエイフェックスなのか?ナゾの新人か?」と騒然とさせた。

まあ、音はアンタも好きねえ~のアシッドテクノだ。アーリーレイヴのシュミレーションではなく、BPM140~150の打ち込みやブレイクビーツに、クリアな鳴りをさせるアシッドで、真骨頂!これがやりたいからやる!といった意気込みがリスナーに伝わって来て… 好きな事をのびのびとヤられると結果、素晴らしいサウンドが生まれるのである。

The Tuss – Rushup I Bank 12

・狂乱の夜ー渋谷道玄坂の巻

2000年の7/28(金)22:00から何とAphex Twin、グラント、ラッセル・ハズウェルとパーティーをブっかます事となった。

何の事やらサッパリ分からないだろうが、細かい経緯を書くと面倒なので、ここでは割愛させてもらう。

とにかく、「エイフェックスが二週間後に日本でパーティーをやりたがっているから後はシクヨロ」というすんごい丸投げをされた26歳の俺。どーすりゃイイんだと。もーワケが分からん。まず、「本当にエイフェックスは来るのか?」という不安。そしてたった2週間で貸してくれるハコなんてねーし!つか、変にデカ箱おさえて「ハイ、来ませんでしたー!」じゃシャレになってない!

「下手をしたら俺は東京湾の底にうずめられる…」イザという時に高飛びできる様、ある国に行く為にパスポートも作ったし、チケットもゲットした。

で、まあクラブというクラブにお断りをされ、残ったのが、むかーしティーンの頃よくクラブとクラブの合間に行ったタンテもある飲み屋「シュガーハイ」だ。やっと箱は押さえた。もし、エイフェックスが来なくても、ここのオーナーは何とエイフェックス・ツインを知らなかった!問題は…キャパが小さいかな?という事くらい。70人でいっぱいいっぱい。

今となっては誰とどういうやりとりを行ったのかサッパリ憶えていないのだが、恐らくグラントかなあ…
「パーティー名は Rephlex Disco Assalut Systems inc.でヨロシク~」とメールでやり取り。「ディスコ皆殺し会社!渋い!」とは思ったが。フライヤーを作ってくれたのは実弟の友人、ヨツヤ。サンキュー。後は日本勢のDJで、今ではSuperbad MIDI Breaksというハードコア団体を率いる村木氏。彼はリフレックス勢が帰った後も、ガッツリフロアをロックしていた。さすが!

本当に客が何人来るのか分からんし、あの気まぐれ集団Rephlex勢も本当にその日になってみないと分からん。
もう、なるようになっちまえと。一升瓶片手に荒れる日々。そして…

本当に来たよ!赤信号無視して、あの!ロンゲの!リチャードが「ハロー」と気怠く!まず、初っぱなから笑った。
坊主頭のアンチャンがリチャードとやたらイチャイチャしてて、そーとーのファンだなーと思っていた。

そのアンチャンに私は「お前はリフレックスの手伝いでもやってんの?」「俺、CD出してんだぜ?お前は曲作れるの?」「お前、ウケるな」など罵詈雑言を浴びせたのだが、それがRephlexの社長グラント様であったと気付くのに少し、時間がかかった。

入念にリハを行い、いざフタを開けると人が列をなしていた!フライヤーなんてロクにまいてなかったのに。どーやって知ったんでしょうね。私は高飛びの便をキャンセルした。

誰が何をしていたのか私は憶えていない。とにかく、「ラッシュ(何の意味かわからないが、恐らくヤバいって事?)だよ!このパーティーはラッシュだ!」とエイフェックス御一行の一人は叫んでいた。「何でもっとデッケー箱でやんなかったんだよ!」とつっかかるお客。とにかく、許容範囲超え過ぎ。200人は出入りしていたであろう。キャパ70人のフロアに。私はトミと、フトちゃんとで、護衛役。VIPだからねー。

後は、一曲毎にDJが変わるBtoBスタイルを早くもやっていましたね。ラッセルはオルターン8をプレイし、ガチ上がった私に、「この曲を俺が初めて聞いた時、まだチビッコだったよ!」と笑っていた。ラッセルいいヤツ!

そしてリチャード。私はあんなにヤンチャで愉快なヤツだとは知りませんでした。彼にいつもつきまとっていたのは、「孤高」「天才」「仙人」というイメージでしたが、アーメンジャングル好きの陽気なアンチャンでした。「センキュー」と叫んでは拳を上げていました。とにかくブチ上げていましたが、何せ暑い!フロアならぬ、サウナ。暑過ぎる。外に出ては水分補給をし、フロアに戻るの繰り返し。リチャードがラストにプレイしたのはこの曲でした。

Squarepusher – Beep Street

彼がこの曲をプレイすると、もはや踊るのではなく、この狂った夜の終わりをみんなで共有しようという、少しセンチで崇高なイメージが今でも蘇ります。

「スーパーダンケ!」

と彼等は去って行きました。

TEXT BY GEODEZIK
https://soundcloud.com/geodezik