“GHz Interview39” DIE-SUCK

GHz Interview

90年代にサイケアウツのメンバーとしてジャングル~ドラムンベース・シーンを中心に活躍し、グラインドコア・バンド「EGO FIX」のボーカルとしてやハードコア・テクノのDJとして関西のエクストリーム・シーンを舞台に現在も活発に活動されているDIE-SUCKさんのインタビューを公開!

3月2日に渋谷Circusで開催されるMURDER CHANNEL VOL.29にて、20年以上振りにサイケアウツ(サイケアウツG)のライブに参加されるDIE-SUCKさん。このインタビュー記事では大橋アキラ氏との出会いからサイケアウツに参加した経緯、EGO FIXの結成秘話、GOTH-TRADとのEARTAKERを始動させた背景など、非常に貴重なお話を沢山お聞かせくださいました。

現在、MURDER CHANNELVOL.29のお得な前売り(ADV)予約がこちらで受付開始中。予約された方にはGorgonnやサイケアウツGの新曲を収録した特典DLコードがプレゼントされます。デイタイム(15-21時)の開催ですので未成年の方もご入場いただけます。この機会に是非遊びにいってみてください!

MURDER CHANNEL Vol.29
at CIRCUS Tokyo
OPEN 15:00 – CLOSE 21:00

ADV: 3,000yen(別途1D)
DOOR: 3,500yen(別途1D)

B1
Gorgonn (G36 / Devilman / Dokkebi Q)
CycheoutsG feat DIE-SUCK
GOTH-TRAD
BABA a.k.a. “BB”SHOT (THINK TANK)
ENA
黒電話666 [PROTOTYPE027]
codesight.
Miyuki Omura

1F
L?K?O
Riddim Chango (1TA & Element)
100mado b2b Prettybwoy
栄免組
DJ YEW
Three-CODE



Photo by yuma kikui

DIE-SUCK
https://www.instagram.com/diesuckeartaker/
94年頃、コールタールのイサオ氏の後任でサイケアウツ加入。
95年、グラインドコアバンド、EGO FIX結成。DAN-DOH recordsよりPLUTONIUMとのsplit 7inchをリリース。
96年、DJ INDRAと共にローランドms-1の音とグロウルのみのユニット、DUAL BEAST SEED結成。難波ベアーズ等でライブを行う。
2001年頃、Kouhei Matsunaga、Kuniomiとdoom electronicsユニットMETAZMAZINA結成。後にYuuma、SECOND TO NONEの4404加入。 CROSSBREDとのsplitをdeserted factoryよりリリース。
2018年、GOTH-TRAD、Masayuki ImanishiとEARTAKER結成。Bedouin recordsより1st LP”HARMONICS”をリリース。CDはKyou recordsより。
2021年、EGO FIXが95〜97年にリリースした音源、リハ、ライブの編集盤CD、”TOTAL FILTH SQUAD”がMortville Noise recordsよりリリース。2023年、F.O.A.D. recordsよりLP化。

Q. DIE-SUCKさんの音楽遍歴を教えてください。

中3の時にパンクを初めて聴いたんですよ。姉の持ってるファッション雑誌でトサカやったり、ほっぺたに安全ピン刺さってるロンドンパンクスの写真見て、かっこえー!思ったんです。パンクファッションの洋雑誌が通信販売で売ってるのを『ミュージックライフ』の広告で見つけて、姉に「これ買おう思てんねん」ゆうたら、そんなしょうもないもん買わんと、これ聴いとけゆうてSEX PISTOLSのカセットテープ貸してくれたんです。それが当時の自分にはむちゃくちゃ激しくて、攻撃的な音楽に聴こえたんです。

それから高校入っても、ゆうほどパンクは掘らなかったんですけどね。もうちょっと後になって『Doll』とか『宝島』とか、『フールズメイト』とかの音楽雑誌をよく読んでました。それで、ハードコアはもっとパンクを激しくしたもんだと思ったんです。もっと攻撃的な音楽が聴きたいなあと。ハードコアとかグラインドコアとかが聴きたいなあと。
それで、18才くらいの時やった思うんですけど、学校の帰りにたまたま途中下車した阪急茨木の駅ビルの中で、オヤユビピアノというCDレンタル屋を見つけたんです。そこは、当時珍しく輸入盤のインディーズCD中心の品揃えの店で、早速今まで聴きたかったナパームデスとディスチャージをとりあえず借りて、家帰って聴いてぶっ飛びました。特にナパームデスのリードリアンのあの極端に押し潰して何ゆうてるのかわからん重低音のボーカルに。

それからは、もしバンドやるんやったら、あれしかないわ!グロウルしかないわ思って、トイレとか風呂入った時に1人でボーボーゆうてました。今もゆうてますけどね。当時、友達誰もおらへんから、一人で十三ファンダンゴにSxOxB観に行ったんですよ。その時はグラインドコアからデスメタルアプローチが最先端で最凶暴だと思ってたんです。初めて観て衝撃でしたね。トッツァンさんにはむちゃくちゃ影響受けました。「ギャー!!」ていう金切り声混じりのボーカルとか、マイクスタンド使わなかったりのスタイルとか。あと、客がグワーーッ!とモッシュになってたりするのを目の当たりにしたり、ノってる客が振り上げるのがコブシのグーやなくて、手を開いて引っ掻くみたいな、カギ爪みたいな感じで両手振り上げてたりとかを見て。「うわー!これがグラインドか!デスメタルか!」思ってお客さんのノリも今までのパンク/ハードコアからさらに凶暴にアップデートしたみたいな印象うけたんです。せやから今でも僕はコブシやなくてカギ爪振り上げてます。

大橋さん(サイケアウツ)にも、デスボイスとか好きやったらチベット密教の声明は聴いといたほうがええぞと、よく言われてました。チベット仏教でもギュートゥゴンパというお寺のお坊さんの声明は超重低音の声でやるんですよ。なんか声が低くければ低いほど悟りに近づくとかゆう考えがあって、河がゴーー!!ゆうて流れてる轟音に負けへんくらいの声で河のほとりで練習するらしいです。ほんまかいな。。俺も淀川向かって吠えなあかんのかなあと。いやそれはしなかったですけど(笑)。この声明は今でも大好きです。

Q. DIE-SUCKさんは1994年頃にサイケアウツに加入されたとのことですが、加入に至った経緯を教えてください。

例のオヤユビピアノの入り口付近にちょうど殺倶(大橋さんか昔やってたノイズユニット)のメンバー募集かライブ告知やったかのチラシが貼ってあったんです。それは、whitehouseとnurse with woundの『The 150 murderous passions』のジャケットもろパクリで、あの子宮にバラバラの赤ちゃんの腕がブッ刺さってるやつでした。「うわー、エゲツない店発見したー!」思いましたよ。その時は殺倶も大橋さんも、もちろん知り合いではなかったですけどね。

たぶん当時、梅田ソレイユの藤井さんが企画に関わってはったのではと思うのですが、ギズムの横山さんがインダストリアル/ノイズのユニットで出てはった、FETISH INFOBAHNゆう心斎橋ミューズホールでやってたイベントを観に遊びに行ったんですよ。そこにT.G.のTシャツで、バックプリントに”music from the death factory”て描いてあるのを着て、大橋さんが観に来てはったんです。横山さんが出てはるし、イカついノイズ/インダストリアルの関係者が東京から来たはるんやろなあと思てたんです。もちろん、僕はその時も大橋さんと全然面識無いですよ。でも、Tシャツのバックプリントのインパクトが強すぎてよく覚えてたんです。

インドラ君(DJ INDRA/Hater-E)と当時、祇園のmushroomゆうクラブに遊びに行ったんです。たぶん、ハヤト君がやってたCLOCKWORK FUTUREゆうジャングルのイベントやったと思います。ハヤト君らがDARK PULSEゆうDJのグループでやってはって、そこに大橋さんが来てはったんです。T.G.のあのバックプリントに”music from the death factory”て描いてあるやつ着てね。あっ!あの時のイカつい人や!なんでジャングルのイベントにノイズの人が来てはんねんやろ思ってね。
それで、たまたまトイレに入った時、偶然大橋さんが入って来はった。それで、「イカついTシャツすね、T.G.すか?でも、何でジャングルのイベントに来てはるんすか?」ゆうて、喋りかけたんです。そしたら、「こんなノイズとかインダストリアルが好きやねん」と言いはる。せやから、「僕もイカつい音楽大好きですねん」と。グラインドコアとか大好きですゆうたら、大橋さんが「オレもブルヘリアとか好きやで!」と言わはったんです。
まさか、ジャングルのイベントでブルヘリア知ってる人が来てるとは思わなかったので、一気に親近感湧きましたね。そっからちゃうかな。仲良くなったのは。インドラ君もその日に大橋さんとだいぶ仲良くなってた思います。そっから、サイケアウツ知らんかった僕が、アキイさん(MCロックンロール)とコールタールのイサオ君がボーカルやったサイケアウツのライブをマッシュルームに観に行ったりしてますからね。

それからしばらくしてやったと思うんですけど、大橋さんから電話あって、「イサオが抜けるし、代わりのボーカルでインパクト系の奴が欲しいから、デスボイスのボーカルで入ってくれへんか?」ゆわれたんやったと思います。僕はその時、スクールバスゆうファストコアのバンドでベース弾いてるんですけど、デスボイス好きやから、余興みたいに僕がボーカルやる曲もライブでやってるゆうようなことを大橋さんにも話してたんで、まあいけるやろ思いはったんちゃいます?

Q. サイケアウツ加入後の初ライブを覚えていますか?

いやあ…覚えてないすねえ、全然。いらんことは覚えてるのに、初ライブどこでどんなんやったかとか肝心なこと全然覚えてないすねえ。。(サイケアウツ)初期の頃やったら、関西はマッシュルームくらいしかその手のジャンルはあんまりやってなかった思うし、お初はマッシュでライブやったんちゃうかなあ思います。

Q. サイケアウツのメンバーはどのようにして集まっていったのでしょうか?

僕は途中から入ったので最初期メンバーではないんですけど、僕が入る前に観た最初のライブは、大橋さん、アキイさん、イサオ君、ツッチーさん(カッタ-HELL/赤城エンタープライズ)の4人だけやったと思います。
それから、イサオ君が抜けて僕が入って、後の入った順番はどやったかなあ。。?ハルちゃん(HAL)はアキイさんが誘って入った思います。インドラ君がヘイターEで入って、ラッキー君(DJ Lucky)がVJで入って、アッキー(Akkey)もまたヘイターEで入って、そんなんやったかなぁ。。?最終的には8人編成になってた思います。

ちなみに、アッキーは元々スクールバスで同じメンバーで彼はギター弾いてたんですよ。でも、ギター弾くよりとにかくモッシュが上手かった。よそのバンドのライブでもむちゃくちゃキレのいいモッシュしてて、彼は当時津山さん(イラストレーターでTIME BOMBの店員さん)が関西一モッシュが上手いから、そんなとこから研究して、鏡の前で練習してるゆうてましたよ。そういうことが見込まれてダンサーで入ったんちゃいましたかね。


Photo by 奥村達也

Q. 1995年にグラインドコア・バンド「EGO FIX」を結成されますが、EGO FIXはどういった経緯で結成されたのでしょうか?

さっきゆうたみたいに、スクールバスゆうファストコアバンドでベース弾いてて、余興みたいな感じで僕がデスボーカルの曲もライブでやってたんですよ。ドラムの青野くんも同じバンドにおって、むっちゃくちゃ速いドラム叩いてはったんです。
そのスクールバスのライブを観てくれた、当時、one size fits allゆうファストコアバンドのドラムの前ちゃんが、ギターリストとしてニューバンドを結成しよう思て、僕ら2人をスカウト(笑)しはったんですわ。ベースのあっちゃんは前ちゃんと以前から仲良かったから、必然的に誘ったんやと思います。この4人の共通言語ゆうたら、ナパームデスとSxOxBしか無かったので、やるのはグラインドコアしかなかったと。

95年に結成して、ある意味ハードコアのご当地、舞鶴のスクランブルハウスゆうとこで11月に初めてのライブをやりました。過去音源編集盤の”Total Fith Squad “にもその時のライブが入ってます。それで、12月に京都ウーピーズでやった”EXTREME PICNIC”すね。対バンは東京のSlight Slappers、神奈川のFinal Exit、京都のImpregnate Tricomonas、同じく京都のCasket Kとかと、DJはヨッシーがやってくれました。ちなみにヨッシーは、EGO FIX、サイケアウツ、スクールバスのフライヤーやジャケットも沢山描いてもらってますけど、当時、SxOxB/NAPALM DEATHのsplitソノシートのジャケットも描いたすごい人ですよ。

あと、EGO FIXは期間限定で2年だけ再結成して去年の年末に解散したんですが、新曲と旧曲を去年録音してるんですよ。ファーストアルバムでこれがラストアルバムになってしまうんですが、早かったら今年の春頃には出ると思いますのでよかったら聴いてみてください。


Q. 1994〜1995年はジャングルが盛り上がっていましたが、関西ではどういった状況でしたか?サイケアウツはこの頃から関西のジャングル・シーン/コミュニティと繋がっていましたか?

ジャングル/ドラムンベースのシーンについては、僕は全然知らないんです。サイケアウツのメンバーですけど(笑)。
サイケアウツは関西でいち早くジャングルのイベントやってたハヤト君とか、あと、クラナカ君とかのDJと繋がってたし、マッシュルームは関西ではこのジャンルをかなり早くからやってたらしいので、ガッツリ初期から繋がってたんちゃいますかね。なんせ、アキイさんも大橋さんもクラブミュージックの動向にはむちゃくちゃ敏感な人らですし。

Q. 1996年にサイケアウツはカセットアルバム『King of the Beats』を発表し、関西ローカルのTVにも出演され、その存在が広く知られることになりました。ライブの本数やメディア露出が増えていったことでメンバーの皆さんに変化は起きたりしましたか?

いろんなイベントで海外から有名なDJ が立て続けに毎週来日してたみたいな時代やったですし、お客さんもクラブに入場するのにえらい並んではったりとか、こういう音楽がとにかく異常に盛り上がってて、今やったら来てなかったような人もクラブに遊びに来てたから、注目を集めやすかったんでしょうね。大阪港のでっかい吉本がやってたベイサイドジェニーゆうクラブにも、クラナカ君のZETTAI-MUで月1で出てました。

なんか吉本の音楽のレーベルに入るかもしらへんとかなんとかの話もあったと思います。「アニキ!(大橋さんの僕の呼び方の一つです)吉本行くかもしらんから頼むぞ(笑)!」みたいな(笑)。
あと、”ぴあ”とか”カジカジ”立ち読みしてて自分のライブ予定に気が付いたりしてましたね。あれ?こんなライブあるの聞いてないな?みたいなことがよくありました(笑)。

Q. 1997年に発表されたコンピレーション『解放戦線』にてサイケアウツは「無人O.B.」という曲を収録しています。「無人O.B.」はDIE-SUCKさんのボーカルが使われたサイケアウツで唯一の曲です。この曲を録音したときのことは覚えていますか?

唯一のボーカルレコーディング曲ですが、全く覚えてません(笑)。レコーディングしたことはうっすら覚えてるんですが。。当時、出来上がったん聴いて、あっちゃ〜…ボーカル下手くそやなあ俺は、と感じてましたけどね。

Q. 1998年にMille Plateauxから発表されたKouhei Matsunaga(NHK’Koyxeи)さんのアルバム『Upside Down』にDIE-SUCKさんは参加され、2001年にはMETAZMAZINAを結成されますが、どういった流れでお二人は出会われたのでしょうか?

クラナカ君のイベントでkouhei君とは出会ったんちゃうかったかなあ。彼の自宅に遊びに行ってて、それで結成したと思います。ハンスベルメールとかシュールレアリスムとか幻想文学とか彼は好きやった思います。すごく独創的な絵を描いてはりました。外国の友人が多かったし、海外のアーティストとも頻繁にやり取りしてはりましたよ。

METAZMAZINAは、kouhei君とクニオミちゃん(元Super Hell、元R.F.D)と僕の3人で初めて、どちらかとゆうとバンド寄りの音でやろかゆうて組んだ思います。音の方向性としては、ドゥーム/ドローン寄りでkouhei君のトラックにクニオミちゃんのノイズ、僕のボーカルゆう感じで、僕がフィンランドのThergothonとか大好きでかなりの遅重低音志向やったからそうなったと思います。やってるうちにkouhei君と意見が合わなくなってしまって、彼が脱退してから、SECOND TO NONEの小路君がギターで入って、むちゃくちゃイカついリフの曲作ってくれました。あと、トラックメイカーに早川君が入ってくれて、当時、2ステップ?とか4ステップ?ゆうんすかね。そんな感じのリズム刻む曲をドゥームアプローチで作ってくれてたりしてました。活動期間ははっきり覚えてないんですが、5~6年くらいだったかも知れません。

Q. 90年代から関西ではZettai-Muが代表的ですが、ノイズ〜ジャングル〜アブストラクト〜ドラムンベースが混ざるジャンルレスなイベントが昔から多く、バンドとDJの距離も近いように見えます。DIE-SUCKさんもDJとしてはハードコア・テクノをプレイされつつEGO FIXとしても活動されていました。こういったジャンルレスな環境が関西で出来やすいのはなぜだと思われますか?

そうですねえ。。東京と比べて大阪は音楽やってる人の数も少ないから、同じ音楽ジャンルだけとかクラブミュージックとバンドミュージックとかだけで交流するとかがちょっと難しいのもあるんですかね。関西は、アンダーグラウンドな音楽が好きゆうくらいの緩い繋がりで、一緒にライブ行ったり、クラブ行ったり、ユニット組んだり、僕みたいなんがDJやったり(笑)、しやすいんかもしれないですね。でも、当時は僕からしたら、東京はバンド系とかクラブ系とかもっとクロスオーバーしてやってるんやろうなあと思ってました。

Q. 1999年にはサイケアウツとしてFuji Rock festivalに出演されましたが、このときのライブで印象に残っていることは?

あれはclub KARMAのチズルさんのお陰で、出さしてもうたんちゃうかったかなあ。ライブはやっててむっちゃ面白かった思います。お客さんむっちゃくちゃ多くて、会場広いのって端から端まで広々と動けて、やっぱり楽しかったなあと。あとは、サイケアウツはメンバー多いけど、各自1人部屋でちゃんと泊まらしてもろてたなあとか、そんなんしか覚えてないです(笑)。

Q. 改めて、DIE-SUCKさんにとって大橋アキラさんとはどんな存在ですか?

ボスですね。サイケアウツGになってもボーカルとかダンサーとか無くなっただけで、基本やってはることは全く変わってはらへんゆうか、ぶれる余地ないなあと思ってます。サイケアウツでボーカルやってたんはむちゃくちゃやり易かったですよ。なんせ、あれだけちゃんとしたリズム、曲が既にあるとこっちはその上に声乗っけて自由に遊ぶだけなんですから。

あと、音楽以外にも左道密教とか立川流とかヤバイ話を大橋さんとするんがむっちゃ楽しかったですね。もう今は無いですけど、京都にクンパルシータゆうおばあちゃんが1人でやってはる喫茶店があったんすわ。内装がなんかゴシックゆうか、重厚やねんけど何かキッチュな感じで、紅色のビロードの座り面と背もたれで骨格は真っ黒で彫刻施された木の椅子があって、タンゴがずっとかかってるような。そこに大橋さんに連れて行ってもらって、昔、殺倶ゆうノイズのユニットやってて、お墓から卒塔婆引き抜いて人の家の玄関先に置いたりしとったとか(笑)。そんな話聞くのが面白かったです。

Q. 現在はEARTAKERのボーカルとして活動されていますが、EARTAKERの結成について教えてください。楽曲はどうやって作られていますか?

あれはゴス君(GOTH-TRAD)が、Back To Chillのレーベルからオムニバス出すから、イマニー君(Masayuki Imanishi)と合作でなんか曲作って入れようかとなってたらしくて、その時、ゴスくんはバンドっぽいアプローチでやりたかったらしいです。そしたら、ダイサック呼ぼうかとイマニー君が、僕の名前出してくれたらしいです。
ゴス君からオムニバス出すから、ボーカル入れて欲しいと、メールがあって、僕は面白そうやから、即答でやろうと返事しました。そっから、1年かだいぶ経っても全然連絡無かったから、あの話無くなったんかなあと思ってたんです。そしたら、ゴス君から連絡があって、大阪でとりあえず録音しようと。そして梅田のスタジオ246押さえたと思います。

土曜の夜23時くらいから朝5時か6時くらいまでやってました。ゴス君があらかじめリズムトラック作ってきてて、そこに僕がボーカル被せて、イマニー君がノイズ被せる感じです。即興でね。それがえらいハマった感じで、これはもったいないからオムニバスの1曲、2曲じゃなくてバンドにしてちゃんと音源作ろうかとその晩でなったんです。でも、ほとんどの時間、録音より皆んなで喋ってる時間の方が長かったですけどね(笑)。1stアルバム(『Harmonics』)はだいたいそんな感じで作ってて、ゴス君が東京帰って編集にかなり時間かけて仕上げてくれてました。

あと、EARTAKER始めるずっと前なんですけど、縁あってお化け屋敷のお化け役でアルバイトすることになったんですよ。そのお客さんをEGO FIXとかサイケアウツのボーカルの時みたいに、調子のってデスボイスで驚かせてたんです。最初のうちはいいんですけど、何百回もやってたら、むっちゃくちゃ疲れてくるんですよね。もう疲れて疲れて、声も出えへんようになって、いやになってそのデスボイスの口のままハァ〜〜と溜息ついて、息吸い込んだんですよ。そしたらなんかゴボゴボッ!みたいな汚水流すような汚い声が出たんです。これは使えるなと思って、それからはEGO FIXの方では再結成後も息吐いて声出してましたけど、EARTAKERでは息吸う方法で声出してます。

Q. DIE-SUCKさんはサイケアウツ、EGO FIX、METAZMAZINA、EARTAKER、そしてDJとしても30年近く音楽活動をされていますが、その中で最も良かったライブ体験とはなんですか?また、長年に渡る音楽活動で得たものとはなんでしょうか?

ライブは沢山やらしてもらったんですけど、あれはどやったとか、これはこんなんやったとか、あんまり覚えでないんですよ。。EGO FIXの青野君にも、僕があまりにもやったライブのこと覚えてないから、全部夢やったんちゃうかと言われてます(笑)。

一回、大阪のクラブでサイケアウツのライブ中に、ハルちゃんの振り回してたヌンチャクが僕の頭にパチーンと当たったことがあったんですよ。でも全然痛くなかったんです。でも、なんか知らんけど頭から何かの液体が流れてくるなあ思たから、ああ、お客さんがノリで振り撒いた酒、頭にかぶってもうたんかあ思てライブ続けてたんです。でも、手で拭っても拭っても垂れてくるし、不思議やな思いながらも続けて、ライブ終わったんですよね。終わったし、トイレ行こ思て、鏡で自分の顔見てびっくりしました。ド頭から血垂れてて、顔面血だらけになってたんですわ(笑)。お客さんもメンバーも照明暗かって、ダイサックが顔面血だらけになってるのわからなかったみたいです。

あとは、確か大阪のクラブ・コーンゆうとこでライブやった時やったかなあ。。ライブ終わって、サイケベース(当時、大橋さんやラッキー君が住んでいた、KARMAのチズルさんが北堀江で借りてくれてた部屋)にメンバー何人かとで一足先に帰ってきて、くつろいでたんやったと思います。ツッチーさんとかハルちゃんはまだコーンに残ってゆっくりしてはったんすわ。しばらくして、2人が帰ってきたんです。そしたらハルちゃんが今にも倒れそうになってよろめいてるツッチーさんに肩かして支えながら部屋入ってきたんです。えっ!?思いましたよ。そんでツッチーさんの顔面見たら口のとこが血まみれで、前歯2本がなんか取れそうになってたんです。「ちょっと!!どないしたんすか!!?」てなって、そういえば、なんかあのハコはイカつそうな兄ちゃんが遊びに来てたから、ドツかれたんちゃうかな思って。そしたらツッチーさんがゲホっ!て咳き込んだんすけど、その瞬間に血と一緒にパーン!て前歯も飛んでいったんですわ。人間の前歯飛ぶんなんか初めて見たんで、びっくりしましたよ。ほんでツッチーさんがモゴモゴ説明しはるのには、お酒飲み過ぎてよろめいてクラブのエントランスの段の所でつまづいて顔面強打してこないになったらしいです。こんなんだけ覚えてます(笑)。

僕は自分からバンドとかユニット組んことが無いんですよ。むっちゃ受け身というか誘われてやったことしかない。せやから、友達と先輩と周りの人のお陰だけでここまでずっとやれ続けれてるだけの人間といいますか。。。気がついたら、一番ええ形でバンドとかDJとかやらしてもらえてるんが、ほんま不思議なんです。我ながらほんまポンコツやけど運だけはええなあといつも思ってます。

Q. 3月2日に渋谷Circusで開催されるMURDER CHANNEL VOL.29にて、DIE-SUCKさんはサイケアウツGのライブに参加され20年以上振りに大橋アキラさんと共演します。ライブへの意気込みを聞かせてください。

もうこんな組み合わせでのライブは無いと思いますし、渾身の力でやりますので、よかったら観に来てください。お客さんが楽しんでくれはったらうれしいです。

Q. 最後に読者の方にメッセージをください。

ステイブルータル!!!機嫌ようお過ごしください〜